山と登山技術

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Nomal 「旭岳東陵」 /オジサン (02/04/17(Wed) 23:59) #21


親記事 / 返信無し
■21 / 親階層)  「旭岳東陵」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:59:49)
    第┃ 21┃回┃「旭岳東陵の山行報告」(2001/2/13)
    1年で最も寒い2月に入りましたね。家への帰り道ではあったかいお鍋が恋しいのに、街ではウィンドウに飾られた春の装いに目が行ってしまう、複雑な季節です。

    R山の「中央アルピニスト学校」の手伝いで八ガ岳「旭岳東陵」に行って来ました。「中央アルピニスト学校」との関わりは、故吉尾弘さんから仕事(ガイド)を手伝わないかと言う話しが有った時・・・個人的な理由で「山」から疎遠な状態になっていたので、代わりに転職したてで「生活」が大変だったU氏を推薦しました又同時に、R山の「中央アルピニスト学校」の講師に私を推薦をしていただいたのが始まりです。私よりは、油が乗っている「U」氏そして豊富な登山実践の上に山岳ガイド経験がある「O」さんの方が良いのではと思いお願いしたのですが・・・。今回、Oさんがやられる予定だったのですが、2月9日(金)〜13日(火)までは予定が立たなかったのでお手伝いと言うことで前半の2月9日(金)〜11日(日)を受け持ちしました。
    諏訪観測所開設以来の「大雪」と言う事でしたので、「中央アルピニスト学校」の担当者に技術を教えるので有ればルートは「手間が掛かりすぎて」不向きで他の所に変えた方が良いのではと提案しました。それに対して「技術」を教える事が目的でなく「アルピニズム」を学ぶ事がメインです・・・全装備を担いだクライミング、そしてトレースのない一日前に入山をする・・・説明を聞いていてウーン?!「発想の転換」と言う感じでした。効率よく登ることを常に考えていて「ワカン」を使うようなら入山を見合わせてきた自分の山登りでしたが、「全天候型の力」をつけるというので有ればそうしたことが必要だと思いました。正直言ってこれは「仕事」じゃないなと思い自分自身に「ネジ」をまく必要性を感じました。全行程をラッセルし、荷を担いで全ピッチリードするために荷物の軽量化が絶対的に必要です。1983年の2月に「旭岳東陵」行ったときはシュラフ無しでしたが、今回は夏用のシュラフ位までは良いとして、手袋はラッセル用・登攀用・縦走用に分けて用意して「寒気」が予想されたので防寒具には気を使いました。「中央アルピニスト学校」は技術的なことは「地方」で(各地方連盟が登山学校や講習会をやっているので)、一歩「高み」を目指して「中央アルピニスト学校」と言う位置付で「地方」連盟の推薦の上で講習生を募集するという形を取っていました。

    2月9日(金)晴れ、奈良の講習生(以下Oさんと略す)と二人で八時半に「清里」に着く・・・頼んでいたタクシーで美しが森の駐車場まで運んでもらう、ここからラッセルが始まった通常なら林道途中の車止め辺りまで車で入れるのだが、今年は様変わりしている・・・出合い小屋まで通常の倍の六時間掛かった。状態によっては「天狗尾根」でも、と事前に事務局とで話合っていましたが・・・出合小屋でOさんにどうしますかと聴いたところ「旭東陵」という意志表示が有った・・・「行くしかない!」。
    途中、懐かしい「権現岳東陵」の取り付き迄行ってしまったりしましたが、無事「旭岳東陵」の尾根に取り付き割と良いところでツェルトを張って快適に寝ることが出来ました。
    2月10日(土)今日もラッセルだ・・・尾根なのにアイゼンの上にワカンを付けたり外したり、ザイルを出したり・・・ひたすらラッセル。やっと上部の「壁」というゴジラの背中の瘤の取り付きにたどり着くも午後の三時を回っていた。1ピッチ目瘤の上の雪はキノコの傘のような雪で、バランスで立ちなが
    ら根本をひたすら掘ると灌木が出てくるそれにランニングビレー取ってからピッケルを振り回してキノコの傘の端を壊してからそっと乗っかる・・・結局一時間半掛かってしまった、暗くなりかけてきたけど進まなければ見通しが立たない・・・ヘッドランプをつけて夜間登攀・・・更に一時間位したら稜線まで
    三ピッチ位の所に出た稜線の向こうは風が強そうだったしOさんも大分疲れているようだったので、あまり良い場所ではなかったが斜面を整地してビバーグすることとした。両側は切れているがセルフビレーを取ってビバーグ。寒気と寝る体勢が悪くて辛かったと思いますが良い天気で朝を迎えた。
    2月11日(日)残りのナイフリッジを登り稜線に出る。猛烈な風で立っているのが辛い・・・赤岳まで冷たい風に叩かれてラッセル、途中キレット小屋付近で振り返れば・・・「旭岳東陵」上部の「壁」の取り付きの辺りに5・6人の人影が見えた、文三郎を通り行者小屋経由で赤岳鉱泉に居るOさんと午後二時
    半に合流することが出来た。
    1983年の2月に「旭岳東陵」行った時の事はもう思い出すことが出来ません・・・少しはテクニック(軽量化等)の面では自分自身が成長しているのかな?・・・。でも(攀る)意志と愛情(入れ込み)は昔も今も同じだと思います。

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