山と登山技術

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Nomal黒部・丸山東壁「緑ルート」(0) |



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■20 / 親記事)  黒部丸山「左岩稜」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:43:55)
    第┃ 55┃回┃一言で、アルピニズム!! 黒部丸山「左岩稜」 
    (2001/10/10) 
    10月6〜8日(土〜月)黒部丸山「左岩稜」 メンバー H・S・N
    入山日洞窟まで、2日目頂上(バリエーション上部O・C・C)、3日目下山
    今もなお、あの登攀のすごさが体中と心に焼き付いていて、しばらくこの充実感に浸ることでしょう。  これが・・・アルピニズムだー。
    頂上に上がった時の安堵感は、とろけそうでした。終わってみて、一日目の私は、何もわかっていなかったなーと思いました。 楽しさは当然ながら、苦しさ、それ以上に怖さが増ごとにより運命共同体を感じました。 三人の連携プレイがどんなに大切か、・・・・・・Sさんは堪えず私をサポートしてくれました。後ろに彼がいなかったら私は、もっと最悪だったことは確かです。 本当にすごい経験でした。 人工登攀、新人の私にとって何もかもが。トップのすごさに感動しまくったり、草つき、木登りのこと、脆い岩、錆びきったハーケンに体重をかける恐怖、きつい藪こぎ、セカンドの仕事岩でのビバーグ、などなど、そうだ!! あぶみの操作手順の未熟さ、テクニックの無さ、・・・・本当に情けない!!! いろいろなこと教えていただきました。この三日間のこと生涯忘れないでしょう。お天気にも恵まれ紅葉真っ只中の素晴らしい思い出に、そしてNさんとSさんに心から感謝をします。有難うございました。実は、よくやった、と言って下さった言葉を思い出して、一人ウルウルしています。・・・アブナイ・・・アブナイまたその気になったりして。(H記)
    トンネルの中でのポチ(注:荷物を運ぶ台車の愛称です。黒四のトンネルを歩くのに荷物を担ぐのがイヤでボチの出番です。)の活躍は、実に素晴らしかったです。初めて岩場でのビバークでしたが、快適?でした。水が、少ないビバークも良い経験に成り、涌き水を飲んだ時は、あまりの美味しさに、感激しました。上まで、詰める事もアルピニズムを感じられ紅葉の薮漕ぎも又、格別ですね♪ 何より、ルートフィンデングと色々な操作が、自分に、取って、課題だと思いました。左岩陵『巨人の右足』は、色々な要素が、含まれて総合力が、必要だと実感しました。又、行きたいですね。何よりも天候に、恵まれた事とメンバーに、感謝・感謝!( S 記)
    予定日、一日オバーしてしまいました。行ったところは三回目なのにすっかり忘れていて、はじめていったようで新鮮でした。あげくの果て、5mも墜落してしまい・・・(25年のクライミング人生で、本チャンで3回目です・・・「唐沢岳幕岩」右ルンゼルートと谷川岳衝立岩「蝸牛」ルート)無傷なのは運が良かったと思っています。人工から、フリーでトラバースする部分であと30cmで木の根っこに手が届くところだったのですが左足の草付きが剥がれてしまい落ちました。壁の中で一泊、頂上で一泊。力不足でタイムオバーでしたが、目的の「本チャン」をイヤッと体験してもらえました。「本チャン」の「認識」を新たにしていただいたようです。水を2リットル上げたのですが予定日をオバーしたために最後は水不足に悩まされました。下降路も以前使ったところでしたが・・・後から思い出す始末で・・・年を取ると忘れぽくなります。上部の「木登り」「草付きの処理」はサデの大岩・幽の沢の草付きと同じくらい悪かったです。   (N 記)

    第┃ 72┃回┃ 「山だより」(2001/12/10) 
    ●冬の長野方面からの「黒部」へのアプローチとして利用されていた「扇沢」から黒部ダムまでのトンネルがこの冬は「テロ」対策で「登山者」を完全に閉め出すそうです。「ホワイトアウト」(映画)が現実のものとして想定されて対策がとられていると言うことなのでしょうか・・・?冬の黒部丸山は当分無理ですね・・・

    第┃ 77┃回┃ 「謹賀新年」(2002/1/7) 
    ●今年は黒部に入る「扇沢ルート」が閉ざされてしまい。黒部「丸山」は絶望なのですが・・・来年以降は、冬も観光ルートとして、解放されそうです。北日本新聞の「立山・黒部通年観光へ」大町ー室堂を冬季運行 http://www.kitanippon.co.jp/cgi-bin/news.cgi?id=A300#001

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■19 / 親記事)  「韓国・インスボン」(2003/10/23更新)
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:39:12)
    第┃ 38┃回┃課題「韓国・インスボン」(2001/5/18)
    > INSUBONG、興味あり。どんな具合になるのか情報をください。
    四日間の場合。
    朝、日本の成田を出発します。2時間位でソウルの金浦空港に着きタクシーでソウル市を半周し登山口のトソンサという寺に着いて、此処から国立公園の中に入り2時間位歩いて、白雲山荘に着きます。大体夕方ですか、着くのは、歓迎の「焼き肉」が待っています。2階建ての山小屋(個室になってなく大部屋の様な所で20人位が楽に寝られます。床は畳でなく板間)翌日は朝、山荘で朝飯をいただき裏のインスボンに登りに行きます。午前中一本登り、頂上を踏み裏の南面を懸垂三回でコルに降り、15分位歩いて山荘に戻り昼飯を食べます。(山荘のホットソーメンとビール?濁酒もあります・・・とキムチとお豆腐が口に合わなればカップラーメンなども売っています)午後同じように登り山荘に帰ってきます。夜の食事が待っています。翌日も同じですが、午後(のクライミングはないかもしれません、マー早めに帰ってきて)下山し、ソウル市内の南大門か東大門のホテルに宿泊をし、買い物(秋は韓国産の松茸が買えます!!)兼食事です。翌日、日本に帰ってきます。韓国の食文明は味わい深い物があります。儒教に裏付けされた人情は細かいです。なお夏は日本の梅雨前線が上がって雨が多いです。行くとしたら春か秋です。

    > どんな登りになるのかよくわかりません。
    インスボンのクラッシクルートの特徴は大きく言って二つあります。一つは下部のスラブ帯です。大体50mザイルで下部と上部を繋ぐオアシステラスまで2又は3ピッチ有ります。このスラブは日本では味わえない物で登っている内にスラブが立っているのか寝ているのか分からなくなります・・・ワンピッチにランナーが5本も取れれば良い方です。上部は3〜4ピッチ有りイボンショイナードが海軍の時に訪れてクラックルートを開くまではフェース+チムニーのルートがほとんどです此がもう一つの特徴です。一つのルートでスラブ・チムニー・フェース・クラックと言うクライミングのエッセンシャルが味わえる・・・という事です。ガチャはエイリアン・キャメロット(フレンズ)・大きめのキャメロット(フレンズ)をもろ使います!!クラシックルートで有ればスラブは難しくても5・8位です。フェースクラックは5・10aのぼれれば大丈夫です。トップとなるとチョト違いますが・・・なお、もっと易しいルートもいっぱいあります。勿論今のフリークライミングのルートもあります。希望のある人は一緒にトレーニングしましょう!

    第┃ 52┃回┃「韓国仁寿峰」無事終了(2001/9/18)     
     ニューヨーク・マンハッタンの超高層ツインタワー、世界貿易センタービルが、轟音とともに崩壊した。続いて、世界最大最強の軍隊の総本山、ペンタゴンも炎と煙に包まれた。11日、起こった世界史上最悪のテロ惨事は、米国のシンボルが相次いで狙われ、少なくとも数万人が死傷したとみられている。これはテロというより、戦争ではないか。映画を見るような惨事の被害の全容が明らかになるにつれ、世界中に衝撃が走っている。テロを憎むと共に報復戦争に向かうアメリカ・世論の中で被爆国として終戦を迎えた日本の追体験を根拠に「反戦」の原点を見つめ直してみたいと感じています。

    韓国「インスボン」無事終了しました。
    成田空港の出発カウンターはかってない程ガラガラで「テロの後遺症」を実感しました。参加された方のレポートは後日載せる予定でお願いしていますが、やはり今回の日程4日間に+2日位は欲しいと感じました。でも天気に恵まれ充実した4日間でした、不慣れもあり参加者にご迷惑をかけた事もあったと思いますが此に懲りず次回もよろしくお願いします。参加者の全身についた擦り傷が今回のクライミングの楽しみ・多様さを現していると想っています。(ヤブ蚊に刺された痕の事ではないです)事前のトレーニングが不十分でした。もう少しトレーニングに力をするよう企画・努力をしていきたいです。それでも「インスA」「ウジョンB」「ショイナードB(2P残し)」等クラッシックで代表的な所は行けました。概念は理解してもらえたと想います。

    第┃ 53┃回┃「アンニョンハセヨ!!インスボン」(2001/9/19)     
    帰国直後の熱いうちに感想を残したいと思います。
    全体について
    韓国も、韓国の岩に取り付くのも初めての私です。仁川空港からスタートしたタクシーから見る景色が、そして左ハンドルの走行も、車内のラジオから流れる演歌も、そういえば帰りのバスのラジオからも演歌やらトークが流れていましたか゜・・・違うなー・・の印象でした。ほとんどハングル文字のためさっぱりわからないので旅行者には厳しいなというのも大いに実感しました。体形も顔立ちも似ているのに、まさに近くて遠い国を感じるんです。山小屋の食事は、小さな小皿で8品もあり、到着当日の夕食で感激しましたが、まさかそれに近い豪華? 朝食までもが連日続くとは。帰りのお風呂に入ったとき、くず籠の中に、沢山のきゅうりが入っていたのには、今でも驚きのひとつです。物価が信じられないほど安いのは、最大の魅力でしょう。 (およそ日本の半値、小屋の宿泊費は三泊で日本の一泊分以下)これからも驚きと、韓国の魅力は更に増えるに違いありません。
    岩について
    ソウル市内から1時間半以内で取り付けるなんて、いいですね。美しい巨壁、仁寿峰(インスボン)に出会うまでが石畳をぐんぐん登る、足の鍛えにちょうどいい。まさに初めて見た印象は、「ひぇー登れないよー」って思わず出たほどそそり立って見えました。小屋の屋根の後ろからも間近に見えて、美しさに感激しながらも翌日からのクライミングに複雑な気持ちでした。
    14日は、金曜日の爲まだ空いていました。 登りやすいクラシックルートということで「友情B」を登りましたが、登りやすい??「うそ!」、初めて触る岩ということもあり、緊張の上、3ピッチ目のチムニーは、経験したこともない長さで、資料によると45メートルだとか、バック&フッドの要領を後半でやっと得て、その後、これまた登りにくいダブルクラックと続き、きつかったー、・・高度感もあり本当に夢中でした。スラブあり、クラックあり、チムニーありで、5.8とか5.9のグレードが全く覆された感じでした。午後のショイナードBは、クラックルートでした。 とくに3ピッチ目のクラックは、私には、足で登るというのを、実感した大格闘のクラックでした。 時間切れで頂上まで上がれず少々心残りでしたが、次回の楽しみに ? しましょう。その日の夕方には、かなり体中の筋肉がびしばしき始めていました。
    15日は、土曜日で、沢山の韓国青年(女子も)等が続々と上がってきてインスボンは、若々しい彼らのハングル語が、あちらこちらで飛び交う大変賑やかな一日でした。クライミングスクールも盛んで、現地を知り尽くしている先生の指導で、活発に行われていました。仁寿Aを登りだした我々の後には、現地青年パーテイが待ち状態で、私こと、日本人女性中高年クライマーとしては、スマートに登りたいと少し気合を入れました。
    手ごわいスラブあり、3Pの長いきついクラックあり、その上、またまたチムニーあり同行のUさんの言葉「根性いるね!」と私の「絶対登ってヤル!」の気合とで、頂上に立てた時、本当に嬉しかったです。フリクションは、全体的にいいけれど、1ピッチが長く、集中力と体力の持続力が要求される気がしました。浅い経験しかない私ですが、2日間で様々の要素を持っているインスボンで本当に多くのことを体験しました。またぜひ行きたいと思います。
    15日の夜、50名近い青年達を対象に登山学校の講習会が山荘で行われましたがあの真剣な態度と気合は、将来の韓国を代表されるクライマー達を生み出そうというのでしょうか。
    Nさん、Uさん、私の三人の旅でしたが、三様の個性があって楽しかったですね。 Nさん、本当に有難うございました。 岩と岩以外のこといろいろ教えて頂きました。Uさん、重いロープさばきをしてくださり有難うございました。お陰様で登れました。           H 9/18記

    第┃ 56┃回┃ 「アニョマセオ!!インスボン」(2001/10/16) 
    北漢山の仁寿峰の報告その・
    9月13日から16日までの四日間、大韓民国の首都ソウル北方に位置する北漢山(ブッカンサン)国立公園の中の、かっては東洋のヨセミテ(今はヨセミテへさっさと飛んでいってしまう人が増えたのでこんな呼び方も懐かしいとのこと)とよばれたインスボン(仁寿峰)の岩を登ってきた。初めて体験した岩のことナもあり、だいたいが岩のぼりに向いた体型でもなくて、登ったというよりは登らせてもらったのだ。楽しいことはそれは滅茶苦茶に楽しいクライミングであった。登っている最中にはアドレナリンも滅茶苦茶出ていただろうし、そして悲鳴も。あんなにアタマを使いながらクライミングをしたこともなかった。あまりな体験だと感じたところが、またピッチが長いのであった。満足度はそれは十分に☆☆☆なのだが、どう登ったかとかそのあたりのことは私が言うよりは、是非あなたが実際に体験されることをおすすめしたいのだ。ということで、このレポートではインスボンの「入り口まで」をご案内することにいたしましょう。あなたはさっさと飛んでいくべきなのだ。

    北漢山はソウル市の北方に広がる山々の総称であり、仁寿峰(インスボン)810.5m、白雲台(ペグンデ)836.5m、万景台(????デ)799.5mの三峰が、その中心部にあたる位置に順に北から並んでいる。東京の高尾山、神戸の六甲山、大阪の生駒山といった感じだろうか。 資料では、都心(ソウル中心街)からもっともポピュラーな山の東側の登山口、牛耳洞(ウイドン)までタクシー、バスで1時間足らず、ただし交通の込み具合によると、どの案内書をみてもしっかり書いてあるので、いささか注意が必要だ。料金は、タクシーだとだいたい20000ウオン、バスだと500ウオンだ。20000ウオンといっても日本円では約2000円。公共料金は感心するほど安い。私達は例のTERRORISMの影響で、本当なんだとガックリしてしまったのだが、ガラガラの成田空港第一ターミナル(アメリカンとユナイテッドが入っているのだ)から出発して約一時間半のフライトの後、この3月にオープンしたばかりの仁川(インチョン)空港へ到着。そこからタクシーで大ソウル市を横縦断してウイドンへ向かった。ウイドン登山口では「トソンサ、トソンサ」と、そのほかの韓国語はほとんど分からないので、もっと先へ進むように告げる。バスはウイドン登山口が終点で、そこからは名刹のトソンサ(道+ごん偏に先+寺)への参道であり、この寺の送迎バスかタクシーで行くことになる。右手に白雲山(ペグンジャン)と看板をだした、RESTAURANTともあったように思う、湯屋(※お風呂)であるとか(帰りに立ち寄ったが、タオル付きで800ウオンだったかな)登山用品の店とか、弁当屋台とか結構にぎやかであった。寺に並んだ国立公園の登山口ゲートがあるロータリーまでタクシーに入ってもらった。インチョン空港から約2時間、料金は56000ウオン。60000ウオンを渡して、お釣りはほんの心付けだ。カムサムニダ。ゲートで1300ウオンの入山料を支払う。ここにも、食べ物やミネラルウオーターを売る屋台が並んでいた。最初は涸れた沢登り的?(自分が沢も歩くのでこう感じただけかも)な大きめのゴーロをぬったような登山道。石段を作ってあったり、登山道はかなり整備されているのだ。すでに夕方近くなので、下山者が多い。聞くと中高年者登山が盛んだという。シッカリと登山靴にハイソックス、ベストにキャップなんてのも、めだつ。こちらの人達も「こんにちは」とか挨拶するんだろうかなと思っていると、擦れ違うときに「アニマセオ」とか言っているのだ、ほんと。インスサンジャン(仁寿山荘)前を通り過ぎて、宿泊先のペグンサンジャン(白雲山荘)を目指す。ミズナラやクヌギの林の間から、インスボンがまさに巨大な岩としか言いようがない姿を現すと、まもなく山荘である。ゲートから約一時間の登りで山荘に到着した。石造りの基礎の上にログハウス2階建ての、立派な山荘である。 山荘前のベンチに荷物をおいて一休みだ。N師(私の先生)がニコニコしながら山荘に入っていく。「Nさん!」とすこし訛ったアチラ語風の、ちょっとビックリした様子の声が聞こえた。N師が次々と山荘の人達と抱き合ったり、握手をしたり。 まもなく分かったことだが、実はこの山荘は8年前に失火で消失し建て直しされたのだが、その時もN師はこの山で岩登りの最中、ザックやら何やら、全部燃えてしまったのだそうだ。5年ぶりだそうだ。この山荘所属のガイドのソーさんやマネージャーのリーさん(オーナーJR)とは顔見知りだったのだ。さらにオーナーのリーさんは来日したこともあって(パチンコが大好き)、N師は案内役を務めたそうだ。 私達は14日、15日の二日間、N師のリードで、インスボンを概念的に理解できるようにとクラシックなルートが集中する東面を登った。ウジョン(友情)BとショイナードB=クイバウィC(耳岩C)、これは2P残し。そしてインスB(仁寿B)。15日の午後は、頂上を上り詰めると正面に目にするペグンデ(白雲台)山頂から、「ヤッホー」(ほんとなんだから)と叫ぶ韓国青年子女の群に興味が移って?クライミングは中断。山荘から30分ばかりのそちら山頂で、北漢山の峰々と大ソウルの景観を楽しんだ。漢江が霞んで見えた。何のことはない、昼食時に、卑しくマッカリ(※現地の「濁酒」)を何杯か楽しんでしまったためなのだ。あはは、友好友好。ん?
    朝7時頃に朝食(もちろん韓国家庭料理風、なぜかご飯2杯は軽い)をいただいて、午前中に一本。下降して山荘で、温かいソーメンとビールにチジミ(お好み焼き)の昼食。午後にもう一本の調子で登った。あちらでは、岩場は9時とか10時頃になると混んできたかなという感じで、ダアーと広いものだから(こんな言い方もないか)、一人がアタマを見せたなとなるとボコボコとヘルメットアタマが現れだすのだ。私達が小川山とかでやる、朝6時過ぎの岩場の場所争いは、ない。
    さっきも言ったが、ルートがどうだったとか、どこをどう登ったとか、こんな私から聞いてもあまり役に立つことはないだろうから、登った時の感じをほんの少しだけお話しましょう。 フリクションはいい。いい加減な靴だと負けてしまう。ピンは、遠い。クラックはNP。私達は#4を一個いれて、マイクロフレンズから#3まで2セット用意した。一つ一つのピッチはかなり長い。登ったルートはスラブから連続したチムニーやクラックになるルートなのだが、1P30mとか40mとか、ずっとバックアンドフットが続いたりする。それも開始点から数ピッチ登ってからね。集中力の維持と体力、それからヒェーという悲鳴の美しさ?
    終了後の下降は一旦頂上を踏んで西面から、真っ白なペグンデを背にして、ほんとうに高度感いっぱい、開放的なラッペル(※懸垂下降)となるのだが(ラッペルの支点までが怖いと言えば怖い)、ロープは、私達は10.5の50mを二本用意した。それでも降り方ではギリギリの長さかも。2Pの下降。最後のピッチではまっすぐ上方を見上げること。空が晴れていたら言うことはない。まっすぐに天空から下降している気持になれる。
    以下資料から。
    ・ウジョンB 4P105m  1P:20m 2P:20m 3P:35m 4P:30m
               グレード:5.9 クラックルート NP 1/2 to 2
    ・ショイナードB 5P177m 1P:35m 2P:37m 3P:25m 4P:40m
               5P:40m グレード:5.8 クラックルート
    ・インスB  3P97m 1P:37m 2P:30m 3P:30m
       グレード:5.8 チムニー&クラック NP 1/2 to4
    インスB最上部でトラバースをしているときに、耳岩基部で休んでいたウィデギル(医大ルート)を登ってきたアチラ中年クライマー達から、日本語で「ムツカシイデショ」と声がかかった。そちらがムツカシイデショね、大将。こんどはハングルを覚えていこう。友好友好。
    また行こう。次はミョンドン(明洞)でのお食事もしたいね。以前、豚ロースの焼き肉が最高だったからな。トンデモン(東大門)市場の山道具屋群へは平日に行ってみたいね。現地の人がどんな買い方をするのか、見学したいよ。パッパと電卓をたたいて「サーテェファーブ・パセント・ディスカウント」。5.10のフラットソールが7000ウオンだったよ。「マツタケ・マツタケ」と繰り返す日本人(とは分かっていただろう)を一生懸命歩いて、尋ねて、定食屋へ案内してくれたオニイサン。人情とクライミング。
    アニョマセオ。(サヨナラの時にも言うのだそうだ。)(2001/10/10 U 記)

    第┃ 107┃回┃インスボンから帰ってきました(2002/9/24 )<長文>
    二度目の仁寿峰 2002 912〜17
    今年も、仁寿峰ツアー、9月12日から17日まで行われ、二回目の参加となりました。参加者は、リーダーの新保さん、今回はじめて参加のまたクライミング暦一年でが・・・・どこでも登ってしまう頼りになるチョンミア(韓国語での彼女の呼び名) と三人でした。
    一年ぶりの韓国は、滞在中曇っていて、時折風も強く、寒いクライミング日和となりました。けれど、4日間のクライミングは、連日1本、本数が少なかったとはいえ、充実した内容でした。去年参加して登ったルートをはずして、初めてのところばかりだったこともあり、日曜日以外は韓国クライマーも少なかったので難しいルートも後続パーティーに追われることなく、登れたのが良かったです。
    国立公園に入って40分後、仁寿峰の最高ビューポイントの地点から、あの見事な岩山をほとんど見ることが出来なかったのには、今回の天気の悪さを感じて、少なからずショックでした。チョンミアの歓声を聞きたかったのに・・・・・。ほとんど同じ頃の去年は、連日の晴天だったのに。
    初日、夜中に降った雨の乾きをまって午後の登り出しとなりました。韓国クライマー人気?1の「医大ルート(ウディキル)」150m5ピッチ 10d一部A0.・・・なぜ人気かというと、美しく、すくっと立っていてほとんどスラブの世界・・・・だという。去年、韓国クライマーのスクール生が取り付いているのをみて、あんな立っているスラブを登るなんて!!と感動して見ていたルートです。
    やはり怖かった!!  インスボンの10Aのスラブは、しびれました。ここは、日曜日には、わんさか韓国クライマーの青年団が押し寄せ、怒鳴りあっている場所ですが、その日は、誰もいなかったのが幸いでした。とにかく彼らは、上、下で大きな声で喋り捲っているのが特徴です。韓国語の語調からか、私には、まるで怒っているように聞こえてなりません。その賑やかさは、日本人クライマーとは、対照的です。けれど日本人クライマーには大変優しく、友好的だと思う場面が幾つかありました。
    二日目の・・・「クローニーキル」 225m8ピッチ・・・最も長いルートで、ルートを間違えたため、難しい10Aのスラブをやっとの思いでビレイ地点に近づいた時、近くにいた若きクライマーが親指をたてて、何度もやったね!のサインをくれました。私は、(゜゜)を引きつらせて登っていたらしい・・・・・新保さんの話。こういうのってすごく嬉しいですよ。もちろん支点に着いたとき「アンニヲハセヨ」って余裕・・・の?の笑顔で声をかけました。
    三日目・・・・日曜日でクライマーは、どっと増えた上、少々お疲れモードとお天気の心配もあって、短い、「ソーミョンスラブルート」のバリエーションルート「ファンタジーエクスプレス」 75m、3ピッチにしました。ここは下降ルートになっているので昼過ぎるとすだれのようにロープが下ろされしかも容赦なく頭上から落とすんです。日本では、考えられない激しさです。ここでも後続に韓国クライマーがドンドン押し寄せ、トップのリーダーが私の立つ支点に来たとき、ハングル語で声をかけてきて、答えられないのをみて「イルボン?」と確認。もっと言葉は長かったのですが、それだけ聞き取れたので思わず「イエス」などと答えたりして・・・・。でもそのリーダーが下にいる仲間に「このルートを日本人が登っている」といったかどうか、怪しいのですが下から、歓声と拍手が沸き起こって、私は、思わず下に向かって「ハーイ」と笑顔で手を振ったりなどしてしまったのです。考えられないことですが。彼らは、その支点から易しいルートを登り、上部で再び合流、そのリーダーと身振り手振りの交流となり、すごいガスのため周囲が真っ白になった時も、後ろを見ろと声をかけてきたり、私は、「ワオー」などと驚いたり、次のピッチのクラックの登り方を私に教えてくれる等、岩場で短時間ながらあの先生?に親しみすら感じました。 
    交流といえば、今回、宿泊したペグンサンジャンの小屋では毎晩現地クライマーの「徐 徳漢氏」、「金 基泰氏」オーナーのご子息の「李 建氏」も加わってスペシャル焼肉とお酒で宴会が開かれ、ハングル語、日本語、英語の中で親しく交流がもたれたことは、本当に楽しかったでした。
    最終日は、今回の中では一番易しかった「インスB」100m3ピッチ、いくらか仁寿峰のスラブにも馴染んで快適でした。
    馴染んだといえば、今回滞在期間も長かったので、ヨーグルトを薄めた感じの軽いお酒の「マッコリー」とお好み焼きをうすーくした「ちぢみ」は、すっかり大好物になりました。 小屋で休憩する韓国のハイカー達にも愛飲されており小どんぶりで、ごくごく飲むあののど越しは、すっかり私のものになりました。
    帰国の日、韓国空は、晴天になりました。「徐 徳漢氏」と彼の友人クライマーであり、カメラマン(かなり有名な方らしい)と一緒に下りましたがあのビューポイントで、見事に映える仁寿峰をバックに、一流カメラマンによる記念写真をパッチリ撮っていただけたことは、幸いでした。新保さん、チョンミア有難うでした。  H記 

    第┃ 139┃回┃  『冬教室参加者募集中』(2003/10/21)
    ●インスボン感想をいただきました。
    インスボン・クライミングの1日目(10月5日)を終えて、白雲山荘に戻る下山道で、突然、「私のクライミングは今日から始まった」という気持ちになった。
    山登りを始めて一年半、岩での練習は昨年9月から。これまでに日和田山、幕岩のゲレンデ練習を合計10回くらい。あと、小川山、二子山、三つ峠でのマルチピッチ体験。リードはやったことがない。こんな私にとって、「岩」とは、岩稜歩きに備えての練習という位置付けだった。
    それが、インスボン1日目で、パッと目の前が開けたのだ。「岩を登ってピークに到達する山」が、私の中にしっかりとインプットされた。北岳バットレス、一の倉沢・・・。遠くから眺めるだけのこうしたルートを、いつか登れるように、そのために、人工壁もゲレンデもマルチピッチも練習しよう。今、そういう気持ちだ。

    インスボン(韓国で漢字表記すれば仁寿峰)は、スラブと長いクラックと、深くて広いチムニーの連続だ。スラブは小川山よりずっと粗い花こう岩で、ファイブ・テンのアナサジがよく効く。足裏に微妙なざらざらを感じ、フリクションの効きが実感できる。「ここなら大丈夫そう」と思ったところで立ち込めば滑らない(と思う)。ただ、1日目に登った「友情B」の最後の「狸の腹」は、相当登りこまれているためか、あるいは、足の力を使い果たしてしまったせいなのか、ぬるっとした感じでてこずった。粗い花こう岩は、手指の効きも思ったよりも良かった。

    クラックは、深さがあって、手を入れるとどこまでも入ってしまう。手よりもフットジャムの出番の方が多かった気がする。
    チムニーはとにかく、長い。1日目の友情(ウジョン)Bにしても2日目の仁寿(インス)Bにしても、1ピッチまるまるチムニーだけと言ってもいいほどの所もあった。チムニーと思って早々と体を入れて、ズリズリと登ったが、疲れた。ぎりぎりまで普通に登って、最後に体でズリズリというのがいいのかもしれない。

    スラブ、クラック、チムニーのうち、一番てこずったのがクラックだった。あまり経験がないためだが、インスボン対策には、クラックの練習を積んでおくのがいいのだろう。
    インスボンで驚いたのは、韓国の人たちのパワーと歩きのバランスの良さ。インスボンの隣の白雲台という峰は、日帰りのハイキングコースとして親しまれている。ここがけっこうな岩場。頂上へは手すりや階段があるが、いくつかある道は、5・6くらいははありそうな斜面だ。そこを、ハイキングシューズですたすたと登り下りしてく老若男女。怖さ知らずのキムチパワーだ。
    友情Bからインスボンピークを踏み、懸垂下降のスタート地点に徒歩でおりたが、私たちはロープを張って、セルフビレイをとりながら、慎重にトラバース、下降した。韓国の人たちは、懸垂地点までセルフビレイもとらず、平気ですたすたと歩いている。下りが苦手な私は、お尻でずりずり下りたいくらいなのに。
    穏やかな稜線歩き、松葉のじゅうたんの上を進む樹林帯歩きから始まる日本の山と違って、韓国の山は岩山が多く、「山歩きと=岩歩き」のため、みな岩歩きが上手になるのだろう。以前にソラクサンのスキー場の視察に行ったことがあるが、ここも岩山だった。

    インスボンで2日間、クライミング三昧をした結果、どのくらい岩に慣れて上手にの登れるようになったのかは、私にはわからない。でも、少なくとも、岩が楽しく、岩をやりたい、という前向きな気持ちになった。ちょっぴりだが、自信もついた。が、自信が過信とならないように、いさめなければならない。
    というのも、セルフビレイのとり方、懸垂下降のためのロープワークなどでの手際の悪さが目立ち、仲間の手を借りたり、時間がかかったりした。とても恥ずかしかった。登る技術よりも、まずは、ロープの扱いを確実に自分のものにしないと、話しにならない。
    自分に欠けていること、今、身に付けなければならないことが、くっきりと浮かび上がり、課題が明確になった。それだけでも、インスボンに行った値があったと思う。小屋での生活(衣食住)は快適。格安。
    下山後のお風呂で、あかすり・エステも最高。すみずみ洗ってもらって、シャンプーもしてもらって、マッサージも少々。ざっと一時間で2000円。洗顔のあとの顔に甘いヨーグルトを塗ったのには驚いたけれど。
    「韓国クライミング体験とエステの旅」なんていう触れ込みで募集したら、女性がいっぱい参加するかも。
    来年また、参加したい。そのために、毎月、積み立てをすることにします。(H記)

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■18 / 親記事)  ゴールデンウィーク「硫黄尾根」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:29:05)
    第┃ 33┃回┃「ゴールデンウィーク」報告3(2001/5/10 )
    ▲2001年4月27日〜5月1日「硫黄尾根」
    今回のGW前半を硫黄尾根に決めたのは、22日。「この冬の北鎌の経験を基に取り組める」と言うアドバイスと、硫黄は私自身の行ってみたいルートの一つだったから。
    4月27日(金) 新宿発23時50分 信濃大町行き急行アルプス
    4月28日(土) 第1日目 高瀬ダム〜小次郎沢のコル
    高瀬ダムでタクシーを降りる。(今年から、4月中のGWにもタクシーが高瀬まで入れるようになったとのこと。)超軽量の靴で歩き出す。7時ごろか。北鎌は、P2基部を目指して七倉からプラブーツでタカタカ歩いた。今回は、手に入った記録から、何とかP4・5の間まではと考えて、会話をしながら歩くには少し早めのテンポで進んだ。運動靴で雪の斜面など出てくると、滑るという先入観から及び腰になる。足の運びが一本のラインになっていると指摘される。アイゼンの爪を引っ掛けやすい原因だ。湯俣で硫黄臭を確認してから、水俣川にかかる吊橋を渡る。北鎌の時に、最初に出てきた渡渉点の上をトラバースする。悪いのでしっかり足を置きながら進む。(北鎌のときは、Tさんが行きかけてやめたルートだ。)しばらく進んで、右手に熊笹の中に、道あり。赤布も見える。ここで、北鎌と離れていく。急登を少し行くと尾根に出る。雪。プラブーツに変える。急登で足を滑らせる。こんな所で!!
    クサッタ雪がなんとも歩きにくい。寒かろうが固くしまったアイゼンのばっちり効く雪のほうがどんなに歩きやすいか。へたくそなルートファインディングでとりあえず進むが、調子が出ない、というより調子が悪い。どうやら、2日間の睡眠不足(かなり)が効いているようだ。まずい。一向にペースは上がらず、緊張感までうせていきそうだ。危ない。懸垂の支点が出てくる。落石に注意しながら降りる。必要のないところでザイルをもらい(あの不調からすれば仕方ないと思う)、ちょっとショックだったりしながら、小次郎沢のコルまで到着。4時半。
    硫黄岳前衛峰群(P1〜6)は越えた。テントの中で、ろうそくを使うのはめったにない。初めて使った、タブキャンドルがなかなか面白い。紙縒りを作って芯にして、炎を2本立てにしてみたり・・・。水分をたくさん取る。いつもの通で必要分の飲み物を用意したが全く足りない。香りがするかな?程度に薄くなった飲み物を口にすることになる。
    4月29日(日)第2日目 小次郎沢のコル〜中山沢のコル?時発。硫黄岳を踏み、硫黄台地で一本取る。ここから、北鎌と平行する。雷鳥ルンゼは懸垂で下る。一本下ったところから、硫黄の特徴、脆い岩稜の始まりだ。赤岳ジャンダルム群に入ってからだったか、岩をホールドにしながらトラバースしていたとき、左手の岩もろとも引き離された。それでも留まろうとする私の身体は、お腹にパンチを食らったような体勢をとってトンと落ちた、お尻の右の骨が雪から出ていた岩の上に。その後、数メートル雪面を滑り、止めてもらった。ピッケルのリストバンドが抜けるが、すぐ下で止まってくれた。クサッタ雪に感謝しなきゃかな。なんだか、まるで初心者みたいな気分に、ちょっぴり情けないものを感じながら、トラバースする。その後、捨て縄を2・3箇所で使いながら懸垂を繰り返す。一ヶ所、荒縄らしきものが残っている支点あり。時代の流れをひしひしと感じた。誰が使った縄なんだろう。(・・・冠松次郎・・・。)岩稜では、岩を確かめながら行く。朝のようなことはしたくない。あのときだって確かめたつもりだったのに。P7を巻いたところで…左足をクサッタ雪に取られかけた。体が半身になった。右足と右手が効いていたから良かったが。ノーザイルだったから怖かった。不用意に動けなくて、手をかしてもらった。左足が利き足で、それを支点にしての右足の蹴りこみはいいが、逆は弱い。かなり意識しておかないと危険だ。ぽつりと落ちてくるものがある。P8を2回懸垂で降りたところが、中山沢のコル。5時半。今日のビバーク地。ザイルを使うことも多く、ガレ場の降りにも時間がかかり、目指した白樺台地には届かなかった。最後の懸垂では、若干支点が弱いのでクライムダウン調にして、確保器は使わない。(今回小さなエイト環を持っていない私は、軽さを取ってATCにした。)カラビナを2枚使って制動を効かせる方法を教えてもらう。霙がツエルトを叩く。冷え込んできた。
    4月30日 第3日目 中山沢のコル〜白樺台地を越えた地点霙は雨に変わって一晩降り続いた。辛うじてFMしか入らないラジオは当てにならず、雲行きをうかがう。かなり小ぶりになったところで、行動開始。11時。テント撤収し終わるころには、あがるが、視界が悪い。雪で「く」の字に書かれたルンゼを登る。赤岳一峰から見えない二峰を目指す。今回のルート第二の核心部。だが、一つの資料によれば、「多少難しいところもあるがザイルを必要とするほどではない。」とある。それにしては、かなりきわどいルートに出くわす。岩稜と岩稜の間を落石たちがうまくうめてできた、細い橋を渡る。空中綱渡りの気分。橋通過後に出てきたのは、アイゼンの爪さえ置くところのないスラブ。岩の上のリッジに手をかけカニになる。しばらく降りるが、ルートに??マークがついてくる。一峰に登り返し、地図とコンパスで確認。どうやら、尾根を違えていたらしい。二峰は、南西の方角だ。少し進むと、アイゼンの爪の傷が岩に見られる。OKだ。懸垂の支点も出てきた。二・三・四・五峰を越え岩稜が終わると、白樺が顔を出す。白樺台地も近いらしい。雪壁をトラバースしていると、下のほうに頭に赤い飾りをつけたきれいな雷鳥がつがいで歩いている。飛び立っていく姿も美しい。平坦な雪原に出た、白樺台地。ややのぼりのきつい雪稜を進むうちにガスがきれ、正月の北鎌が、槍の穂が一層身近になって現れた。?時半。ころあいの良いビバーク地にスコップを立てる。ここから、硫黄岳からの軌跡を追うことができる。ホワイトアウトの中の行動がこの視界の中でつながった。なんだか、やたらと嬉しい。あんな岩稜だったのか、あんなやせた雪稜だったのか!!!いくら見ていても飽きない。硫黄尾根は、終わった。クサッタ雪にプラブーツの中に入り込まれ靴下を濡らされる。装備の一つに「新聞紙」があった。これが、吸水性抜群。使い慣れない私は、どうしても「直火」に頼ってしまいがちだが、Nさんは、さすが。濡れた新聞紙をまるで、海苔でもあぶるように乾かしては、再利用する。
    5月1日 第四日目 白樺台地上部〜上高地・・・新宿
    久々に御来光を見た。淡い太陽。これが春の朝の陽なのか。穏やかだ。??時、西鎌尾根から肩の小屋へ向かう。肩の小屋からの雪壁にきれいな二本のシュプールが描かれている。なんてリズミカルな息の合ったスキーヤー達なんだろう。山スキーの爽快感を思い出す。オコジョ??身体に縦に太い縞を三本くらい走らせた小さい生き物発見。リスを一回り大きく、且つ四角っぽくした感じ。岩稜と雪壁を身体に取り込んでるの?いつか、純白の君にも会いたいものだ。肩の小屋11時着。休憩後、一気に下る。もう、惰力走行だ。傾斜があるうちは良かったが、横尾からの平坦な道は自力で歩かないと進まない。まだまだ、修行が足りません。
    下山して
    今回、名目上「リーダー」として、山行計画・装備表を作成した。地図上に、ルートを落とす作業もしてみた。例によって山行準備は、慌しく進められ不十分だったが、「自分で」考えることがいつもより多かった分だけ、勉強になった。優しい部分は、先を歩かせてもらった。(初日は別)どうかな・・・という部分も、トップで歩くことに挑戦してみたい気もする。たくさんの経験の中でルートを読む力もつくだろうから。山行前に地図をぎっちり頭に入れて、山行には地図を持っていかない人を知っている。持っていかないことを真似できないが、それくらい、地図を読んでおきたいと思った。左右のキック力の違い・・・左の弱さを、承知してけりこまないと。クサッタ雪の難しさが、身にしみた。硫黄>北鎌という式を実感した山行だった。 

    1、装備と活用について{*反省と問題意識の纏め}
    (1)時計の電池切れに新宿で気付く{×失敗}
    (2)ラジオの感度{×が良くなくてあまり使えなかった}
    (3)クサッタ雪でも靴の中・ズボンのすそを濡らさない工夫はないものか。
      {*スパッツは付けるが雨具下を付ける程の必要がない場合結果として裾が濡れてしまうので}
    ・ 濡れた靴下を嫌がらず履き、夜乾いたもので快適に休む。{*一度濡らすと乾かすのが難しい。睡眠時は濡れた靴下だと最悪なので・・・実感しました}
    ・ 冬山でもゾウ足を持たないことが多いが、あればいいなと思った。{*私は冬はゾウ足は替えの靴下と同じく必須です・・・凍傷しているので尚更なのですが}
    (4)新聞紙の活用{*天気が崩れる場合は必須と実感}
    (5)水分を多く摂る
       ・喉の渇きとは別に体内の水分は不足してくる。
    (6)ろうそくはいい。
    ・ 何と言っても、炎の温かみがいい。定着型以外は、ランタン持たずにろうそくとヘッ電で済ます。      
    ・ ぺツルの新型は有効。{*長時間使用可・軽量}
    (7)予想以上に捨て縄使用
    ・ 不足ではなかったが+αあったほうが安心
     {*一人今回は長い物×2・短い物3でしたが・・・私は短い物×5。終わって手元に残ったのは長短3}
    ・ シュリンゲを作るときの長さ調節が不十分{*長い物の長さは短い物×2にするべきでしたが中途半端な長さの物を使用したので}
    (8)確保器
    ・ 本ちゃんでのATCは、「役に立たない」{*と指導を受けました。}
    (9)ティッシュとロールペーパー
    ・ ロールの方はまだしも、ティッシュは長く残り、自然の中には残して置きたくないものとのこと。
    ・ 労山の「高所登山学校」の参加したとき、使用後ライターで燃やす方法をとった。日本の山でもそれが一番かな?{*ティッシュは丈夫で、分解しにくいので環境庁や自然保護団体は山では使用しないよう呼びかけています。ロールペパーは分解しやすいそうです。持ち帰りが一番良いのですが・・・ウーン難
    しいですね。アラスカでは環境レインジャーが燃えた灰が環境を破壊するので燃やすなと指導しています。どうしても破棄せざる得ないのならクレパスに放り込めと指導していました。}
    (10)アプローチの靴
    ・ Nさん、アプローチでのぬかるみまで予測しての選択・・・納得。私のように普通の靴では雪に対して及び腰になる場合、家からプラブーツという冬のパターンがいいのかな。{*崩れた道や無雪期は運動靴の方が歩きやすいしアプローチで運動靴を使用するというのは楽ですね。ただ、軽さを選ぶあまり運動靴の靴底のタイプに無頓着だとまずいです。滑りにくい物を選びましょう。又、滑りやすくなった物は破棄しましょう。プラスチックの靴は蒸れます出来るだけアプローチで湿らさない工夫が必要です、冬の時は私は捨てても良い綿靴下を履いて、登山口の駅で毛の靴下に履き替えて綿を捨てています}
    (11)水筒
     ・最近、ペットボトルの飲み物を直前に購入しそのまま水筒にする。今回たまたま「エビアンの水」弱いボトルで、扱い注意物だった。
    (13)ハーケン
     ・Nさん愛用の優れもの「ICI/クロモリスパイラルハーケン」が活躍してた。
    技術・・・
     (1)クサッタ雪
     (2)脆い岩
     (3)ルートファインディング
       ・トップは、支点を見つけながら行動することも大切。
     (4)ガレ場の歩き方・足の運び
     (5)ザイルワーク
       ・歩くのと登るのに夢中で、その後のザイル操作につながらない。一連の動きになるように身に付けたい。
     (6)テント設営
       ・Nさん、即行動。私はと言えば、雪を踏むのも億劫なくらい・・。一日の行動で疲れていても、テント設営まで行動の内にいつでも入れておかないと。
     (7)精神面
       ・完全にNさんに依存して行動していました。名目上の「リーダー」さえもどこかへ吹っ飛んでいました。私の目標が「山での自立」だと言うのに!!
     (8)ルート研究と読図
     (9)アプローチから下山までの体力
    感動・・・
     (1)残置シュリンゲ
     (2)硫黄尾根の全体像を見たとき{*白樺台地の上部でビバーグ体制に入るときやっとホアイトアウトが切れ後を振り返れば歩いてきた尾根が見えた}
     (3)私にとっての「ビッグルート」の完結
       ・ルートの長さ、岩稜の脆さ、連続した前衛峰群の迫力。
        北鎌とは平行している兄弟のようなルートなのに、その個性たるや全く別のものがあった。硫黄には硫黄の自己主張があった。その主張を私はまだ、受けとめきれない。最後に、この後の山の目標を持ちたい。  K

    ▲私
    入山日素足で運動靴を履いていたら寒さに強いと誤解を受けた・・・ただ靴下を履くと濡れるのが分かっていただけだったのに・・・水俣川にかかる吊橋を渡ってからの道が崩れていて年々悪くなっている・・・今回デジカメを持っていったのだけれども出発前夜バッテリーを換えたのだけれども使用時バッテリィ不足の表示で使えずじまい・・・悲しい。三日目のホアイトアウト状態にはまいった視界10mで迷ってしまい。パトナーに白い目で見られてしまい助けてもらいました。

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■17 / 親記事)  「谷川岳」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 22:57:44)
    第┃7┃回┃「ガチャ」2(2000/11/28)
    ★ツエルトは大きめの物を持っていく。谷川岳「烏帽子奥壁のルート」は冬壁を志す人にとってはさけて通れない課題です。夏は中央稜・南稜→中央カンテ・変形チムニーと言う順番で難しくなりますが、アイゼンワークを体験すれば、アイゼンは真っ直ぐ攀るのに適していますが、横に行くのは難しい事が理解できます。南稜の夏で言うところのチムニーの上の3P目「・+」の逆くの字状に攀る箇所の為、冬は奥壁のルートの中で南稜を一番困難にしています。中央カンテは難しさが均等に続きます、変形チムニーの部分はピンを穿り出して人工で行けます。凹状は夏の核心部までルートファンリングが難しいです。どのルートを登っても快適なビバーグテラスに辿り着けるとは限りません・・・むしろ腰掛けるだけのビバーグの思い出しか残っていません、そんな時ツェルトを逆さまに使ってみてください(無論空気穴は縛ってくださいね)。底が上になるのですが袋状になるので楽です。

    第┃ 9┃回┃「谷川岳一の倉沢「中央稜」」(2000/12/ 4)
    *12月1〜2日に谷川岳一の倉沢「中央稜」に行ってきました。
    この時期は寒くなく登りやすいです。今年は例年以上に雪が少ないため取り付きまでは夏と同じラインでした。例年ですともう少し雪があるので、楽なのですがスラブ主体のテールリッジが悪いです。冬季初パーティの運命でずっとラッセルで「ショングリの滝」も高巻きます。この高巻きに帰りの事があるので(45mの)ザイルを残置して置きます。(昔残置した私のザイルはボロボロになってもまだ有りました。)のっけからザイルを着けて、スラブにアイゼンを軋ませながら、取り付きにやっと昼の12時に着きました。暗くなるのが早いですね4p登って座ったままビバーグとなりました。連れていった二人は「大男」でツェルトに私は入ることが出来ませんでした。幸い夜中にパラパラと降雪がある位で暖かかったのですが・・・同行者のサイズを良く考えなければいけないと一人納得しました。回りの景色は雪の薄明かりでよく見えます、暗く冷たく人間の存在を拒否しているようでした。吸い込まれそうな闇の中でたった三人しかいない・・・夏の騒雑が嘘のようです。新品のツェルトは(ヨーロッパ・アイガー北壁を登るときに使おうと思い買ったのですが)同行者のビバーグ地が悪くぶら下がってしまう状態のため重さで隅っこが破れてしまいました。翌日残りのピッチを登りブッシュ帯手前で終了とし、同ルートを懸垂下降し取り付きに戻りましたが、テールリッジも殆ど懸垂で降りました。「神々のトラバース」に春、残置した私のザイルはまだありました。中央稜基部から一の倉沢出会いまで4時間かかりました。暗い林道を、同行者は歩きながら「寝てしまう」事があったそうですが指導センターに夕方6時頃着いて長い二日が終わりました。
    *ビバーグをいかに楽にするのかは経験が必要ですが、誰でも出来る工夫は「マスク」をして寝ることです。シュラフの中に顔を入れて寝ると息で濡れてしまいます。マスクをすると濡れにくく暖かいです。

    第┃ 15┃回┃「谷川おじさん」(2000/12/19)
    日曜日、天神尾根経由で「谷川岳」に行ってきました。「谷川岳」という山はなく、「トマの耳」「沖の耳」総体を指しますが、途中「谷川おじさん」の二千回登頂達成に遭遇しました。すごいですね・・・記録を伸ばすために住まいも通いやすい所に転居したりしているようで・・・
    土曜日は、みぞれぽい荒れ模様の天気だったのですが、嘘のように晴れて風一つない穏やかな日で、大勢の登頂者で賑わっていました。
    谷川岳はその置かれた位置のためきわめて得意な気象状況になり「悪天候」が屡々有るために気象遭難が起こりやすいです。荒れやすい山の頂上に2千回・・・他の山ならいざ知らず「谷川岳」の2000回登頂は「すごい」です。昔のように悪天候が一週間続くと言うことはめったになくなりましたが(私自身1泊2日の予定で6泊7日閉じこめられたことがあります)・・・肩の小屋の広場は吹雪かれると迷います。ザイルが有れば一人を中心にザイルで円を描いて避難小屋か指導標を見つけます。指導標(鉄塔)に一人が立ちザイルの方向を指示しながら伸ばします。吹雪かれていると斜面と風に逆らうように歩いてしまうため方向が狂ってしまいます。西黒尾根の場合ザイルを二本つないで、さらに2P伸ばして、「懺悔」岩を見つけたら正規のルートです。後は迷う所は有りません。指導標は雷の影響で磁気を帯びていますので注意してください。・・・

    第┃ 24┃回┃「ひな祭」(2001/2 /27 )
    一年で一番攀るチャンスの三月が始まります。自分自身にネジを巻きましょう!!
    ☆春一番が吹いたら(二月下旬以降)移動高から眼をはなさない(滝沢第三スラブ91.3・幽の沢正面右95.3)
    ☆ 谷川岳のルンゼ登攀は雨のあと冷え込んだら最高の状態になります。(3月)

    第┃ 37┃回┃「夏が来る・・・」(2001/5/17)
    もうすぐ夏が来ます。みなさんどのようなプランお持ちでしょうか?夏の前に谷川岳の本チャンルートをトライしましょう!!(易しい所から難しいところまで自分の課題は探せば有ります。ただ、グレードで探して見てはいけません!!人があまり行かないルートはグレードが低くても難しいという事を理解してください。グレードが低いとピンは有りません、総合力がそれだけ必要になります。グレードが高くても人気ルートはピンがありルートも安定しているので総合力は少しですみます)
    秋に「谷川」を目標にしている人は、「春の谷川岳」が一年で一番アプローチが楽くで日が長い(明るい時間が長い)と言うことを心に留めてください。。特に、私の経験から言えば6月第一週は天気で登れなかったと言うことが有りません・・・出来れば休みを取って、秋の分まで登り込みたいですね。ただ、春先はピンや岩が緩んでいることが多いので、人工ルートは気を付けて。そして、落石が多いので他のどのパーティよりも早く取り付けば、落石からは安全です。(又は遅く取り付くかです。)
    6月中旬から7月前半まで天気は不安定ですからその時は天気をよく見てゲレンデか本チャンとしたら北岳バットレス・丸山・唐沢岳「幕岩」にアタックしてはいかがですか・・その為に今ゲレンデを登り込みましょう!!

    第┃ 40┃回┃≪  谷川の課題   ≫  (2001/6/6)
    6月2日(土)一ノ倉 中央カンテに登りました。 お天気は、時々パラつきましたが、いい一日でした。数年振りの谷川で、雪渓を登っているとき、かなり緊張していました。本チャンとなれば、
      ・ 自分が安全にしっかり登ることはもちろんのこと、
      ・ 仲間との連携プレーを上手くやらなくてはいけない、そして
      ・ 落石を起こしてはいけない
    などと思いながらテールリッジを登りました。その間堪えず安全に登れるよう足の置き場所にもNさんの指示を戴きました。岩は、思っていた以上にグズグズで、触ってグラリというのがいくつもあり確認を怠ることができませんでした。 また先行の人からのそういった忠告は本当に有り難く思いました。快適なところもあり、正直コエー!! という個所もあり、Nさん、トップのロープが15分位動かなかった所は、まさにそれでした。私のこの度の課題は、懸垂下降で何回も出てきて、何回も忠告を受けました。
    ・ 下降して着地して直ちに自己ビレイをとる前に、少しロープを緩めようとする   
    ・ 自己ビレイのとり方で、支点のシュリンゲへのかけ方がしっかり確認できていない
    ・ 支点にかけるときは、ロープの下からかける
    ・ 懸垂下降時のエイト環の使い方がスムーズでない(実際エイト環を落としています。)
    ・ 懸垂下降時の安全確認、ハーネスにつけている環つきビナの閉め忘れなど
    ・ 懸垂のロープの結び目は、下側になるように
    どれも完璧に身についていないとわかりました。登れても、下ることの難しさが身にしみました。下降中、頼りない支点個所で、Nさんがその場でボルトをうち、手持ちのシュリンゲで支点を作って下降した時、いろいろな技術をもっていなければならないことの大切さを痛感しました。またそういった時に必要な様々なもの(シュリンゲの長さ、太さも)をも持ち合わせることの大切さも知りました。私などは、ただボーとしているだけで何の役にも立たない状態でした。
    今回、事故があって頭上を県警へりが飛び交い、三人もの人が吊り上げられていったり、南稜を下降中に、真下の雪渓の大雪崩があり、そのすさまじさに震えました。
    全体に、前回来たときには怖さも知らず、快適な印象だけでしたが、今回は、いろいろなところでなぜか怖さを感じた谷川でした。 H記

    第┃ 48┃回┃「夏山シーズン」本番です(2001/7/30)
    梅雨明け10日間は天気が安定すると言うことで「登山」に最適と言われてきました。それでおおむね「夏山合宿」は(例年の梅雨開け日は7月20日頃なので)8月1日頃に行われるのがベストですね。でも社会人だとどうしても会社の「盆休み」に当たる8月15日辺りにならざるえないのですが、この頃は天気も不安定で山も混みます。天気の安定しているときにチャンスを掴んで攀るようにしましょう。

    7月29日谷川岳「中央稜」北稜下降〜衝立前沢〜出合に行って来ました。「ショングリの滝」はまだ出ていなく・・・七月の終わりで雪渓が割れていないなんて、記憶にないです。しばらく割れる気配がありません・・・。割れるとアプローチが大変ですね。テールリッジの「神々のトラバース」に去年張ったザ
    イルは一部切れて3m位ブランクになっていました。北稜は慣れていれば中央稜を降りるよりも快適ですね。先週の谷川岳は雷雨で「鉄砲水」が出て出合のテントが流されたそうです。不安定な天気には呉々も注意。

    前日の日も攀る予定でしたが前夜の雨、夜明けの雨で中止しました。マチガ沢の出合にある「マムシ岩」でスラブ登りとクラックをトレーニングしました。
    何年ぶりなのでしょうか十年?ぶりかもしれませんハング帯をリードしましたがなかなかのっこしできず苦労しました。昔の人は此をドタ靴で登っていたのだからすごいですね。
    そんな昔の人たちが集まり「グループ山想」という団体ができています。(東京都山岳連盟に加盟しています)通称「G山想」でその名の通り母胎は「緑山岳会」です。
    緑山岳会から様々な会が生まれました。稜峰会・G登攀クラブ・・・アルピニズムを実践していた人たちが年に一度、「谷川」に集まろうと様々な人たちに呼びかけ本年は7月29日の日曜日に集中登山を行いました。29日は集中登山の岩場の方の「警備」「事故対策」も頼まれていました。

    マムシ岩で「マムシ」に出合い、(もう少しで落ちそうになりました・・・)丹沢の沢登り「小川谷廊下」では大量の蛙に会いあげくの果ては蛙を口にくわえた状態の蛇に会いました。今年は異常気象ですね・・・

    第┃ 50┃回┃「秋の予定」(2001/ 8/24)
    いわゆる谷川岳は説明はいらないと思います。10月中旬以降は入山を控えましょう。みぞれでやられることがありますので天気には要注意です。

    第┃ 54┃回┃10-11月の予定(2001/9/23)     
    9月22日「富士山」が白くなったそうです・・・ここ2・3日朝晩が寒いですね・・・いよいよ冬が始まります。冬壁を一本落とすというのは大変です(私自身は初めての谷川岳烏帽子奥壁の冬壁は「凹状」です、冬壁を初めてから5年位掛かっていますその後「南陵」「中央カンテ」「変形チムニー」「正面ルンゼダイレクト」「中央稜」と経験しています)・・・冬山には「アイゼンワーク」は欠かせません。一度じっくりやってみませんか。

    第┃ 61┃回┃ 「冬の足音」その3(2001/11/7) 
    11月3日土曜日は谷川岳でも雪が降り、上越は「冬景色」だそうです。

    第┃ 86┃回┃ 「山岳共済保険の更新時期」(2002/2/25) 
    ●谷川岳登山条例に基づく届出について
    谷川岳の「危険区域」の登山届出は遭難防止条例で「登山規制」がしかれています。
    > 以前、どこかで谷川岳登山条例に基づく届出がFAXで指導センターまでに2日前迄にすればOKというような記載を見たのですが、本当でしょうか?
    登山条例の対象は(12月から2月までを除いて)「3月」からになります。届出を(原則10日前まで提出し)2通提出すると受理印を押して、一通が戻って来るという事で携帯を義務づけられます(提示を求められると提示する義務があるとなっています)・・・。
    3月の条例適用日開始など微妙なことがある場合や、やむをえず(10日前まで提出に)間に合わない等の場合、登山者の利便を図って「FAX」を受けてくれるようです。(あくまでも運用です)ただし、「2日前迄」という事でなく出来るだけ早めにと言うことです。折り返し、提出者への「受理」の「FAX」が来ます。センターの電話0278723688がそのまま「FAX」ナンバーになります。

    > 岳連加盟者のみの特権制度(?)に関連するものなのでしょうか??
    遭難防止条例制定時、当時の日本山岳協会と群馬県の担当者で話し合いをして、日山協加盟団体については入山当日(会の承認の会印を押した登山届出書)を出せば受け付けると言う事にしました。上記(岳蓮加盟者以外の届出のFAX受理)のことは天気など不確定な要素があり、「十日」前までに提出できないこともあり得るという好意的な事での受理なので、出来るだけ早めに出す事に努めたいですね。

    > 直前の日程変更(悪天などで順延)の場合の手続きはどのようにされていますか?
    不条理な規制条例ですが、担当の方々も規制が目的でないという対応ですし、目的は事故の防止です。「登山届出」に関わる事については、センターに、電話で相談してみるのが良いと思います。

    ●谷川岳登山条例に基づく届出について「グループ山想」からメールいただきました。
    FAXで2日前云々は一昨年の「グループ山想」谷川集中前に、集中の際は不確定要素が多く、センターと話し合って最悪の場合はFAXで2日前なら大丈夫、と言う確約を貰いました。 「グループ山想」集中参加者にはその旨のニュースを流しましたが、それが他に流れたのでしょうか?(私:流れて、現在一般的にそういう処理がされるようになったという事のようです)

    第┃ 89┃回┃「3月」冬も終わり(2002/3/17) 
    17日谷川に行きましたが本谷を詰めるも、「本谷」が割れていて渡れず帰ってきました。雪は落ち着いていましたが、そろそろ底雪崩のシーズンですね・・・

    第┃ 91┃回┃「登山教室2」(2002/3/22) 
    3月17日に谷川に行き「敗退」しました。2月に広い範囲で「雨」が降り、千波の滝が登れなくなったという事態の中で、谷川の氷が発達する予感がしました。(ルンゼも落ち着くし)・・・そうした中、烏帽子奥壁の「大氷柱」が登られ・・・「自分が登っていないルート」へのクライミングの意欲が押さえようもなくなり、Oさんに同行をお願いして、アルパインの経験のあるKを誘って一の倉沢「六ルンゼ」を計画しました。出発前日まで、Oさんから連絡がなく(越沢バットレスに行ってた様です)、連日の深夜にまで至る「残業」でよれていましたが何とか二人で指導センターにたどり着き、明け方3時にセンターを出る時に夜中(午前0時頃)から行動をし、「5ルンゼ」を敗退し戻ってきた知人に色々情報を貰いました、出合は一の倉尾根からの底雪崩でデブリの山のようになっていました。明るくなる頃に滝沢下部辺りまで登り、目指すルートを確認することが出来ました。手こずるなと言う第一印象で・・・本谷が割れていてスノブリッジの一番狭いところが2m位で両側に亀裂が入っていました。
    頭の中で、ルートを登る装備・ルート敗退時の下降ライン、ルートの変更時の予想事態、天気は下り坂・・・気温が高すぎる事、翌日の仕事。リスクを背負う気力が無くなり、敗退する事としました。一の倉からの戻り道、パトナーとの信頼関係を凄く考えてしまいました。
    登山教室でパトナーを育てるという事をメインに私は関わりたいと思います。
    教室の方も間をあけず、短い期間に集中的に登り込むことで自分が何年もかかった事を効率よく学んで貰えると思います。

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■16 / 親記事)  「アクシデント」更新2003/1/17
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 20:09:12)
    第┃8┃回┃「アクシデント」(2000/11/29)
    *私の尊敬する「吉尾弘」さんが滝沢リッジで亡くなりました。・・・。
    昔のことですが夏のヨーロッパアルプス・フランス・シャモニのロジェールキャンプ場で吉尾さんのプトレイ・ノワール南稜(確かルートは72P有ったと思います)を登った時の話を若いパトナーから聞いた事があります。「フリーなら私の方が絶対上手いのです、でもトップを譲ってくれない」。その話を聞くまでは「好好爺さん」と言うイメージでしたが・・・すごいなと思いました。体力・年齢等・・・、そこそこの事で満足をしてしまうのですが、彼は違った、クライミングに対して「純」な人なんだと驚き・・・そしてその驚きはすぐに憧れになりました。厳冬期の滝沢リッジで力つきて亡くなられてしまいました。「純」に生き抜いた人だったと思います。
    *基本的な事柄を学びトレーニングを積み重ねて、高みに思いを寄せても悲しいことに、「アクシデント」は有るのが実状です。つい最近(2000/11/23)も、穂高の明神東稜で「どんぐり山の会」の方が残置のフックスロープが切れて亡くなられました。個人として出来る手段は講じておくよう切に感じます。山岳会に入っている人は山岳保険には入っていると思いますが、チョット保険の話をしてみます。
    *労山遭対基金・都岳連共済等様々な山岳事故対応の「保険」「基金」が有ります。労山の「遭対基金」が事故が多発しないので有れば一番優れているように思います。保険ではなく積立基金です。詳しいことはそれぞれの専門の人に譲ります。一般の生命保険等ですが、契約条項で「山岳登攀」を除くと言う項目を楯に支払いを拒否された場合が実存します。「でない」と無意味です。出るかどうか担当の方に確認をしておいてください。なお、郵便局の簡易保険・ALICO等は大丈夫な様です。(**)たとえ「出る」という事が前提でも以下の様なことがありました。
    その一:山岳会"M"の会員で冬の八ガ岳に行きました。悪天候で凍傷を負い、指を切断しました。保険請求事務は所属山岳会と請負保険会社とで行います。保険会社の担当者は当初「凍傷は病気」だから保険対象外だと言う対応をし、支払いを認めさせるのに一年間かかりました。
    その二:城ガ崎にフリークライミングに行き(届出は電話連絡だけでしたが)「車の中でガスコンロ(ランタンだったけ?)を使用した形跡を残して、ガールフレンド共、一酸化中毒?(解剖していません)死亡」地元新聞は「自殺?」と見出し・・・(これはガスボンベ使用中の事故と思われます)所属山岳会(山岳会"M"ではありません)が保険会社との交渉を放棄した。(というか請求自体を忘れていて・・・そのまんまです)ガールフレンドは無所属。保険は請求しないと出ません。個人で保険に入っている人は自分以外の人に「請求」事務をキチンと説明しておかねばなりません。たとえ請求まで行っても保険会社とやり合うことが必要な場合もあります。
    「事故」の後始末は個人で出来るレベルを超えます。(別な機会にもっと詳しく書きたいと思っていますが)山岳会は「事故」結果から会員を守る「防波堤」の役割を果たさなければ成りません。
    攀るだけでなくそうしたことも学んで欲しいし、学んだことを活用して欲しいと思います。
    (**)どの保険会社も、表向きは何でも扱うよう宣伝はしていますが、実情は「内規」で「山岳の捜索費用など」は扱わない事が謳われています。日山協等と保険会社との契約の山岳保険は「特殊」なものとして捉えられています。「郵便局の簡易保険・ALICO等は大丈夫な様です」の中身は「山岳登攀を含む」山岳事故で支払いをしているということです「主に死亡・高度障害」を指します。植村直己さんは「郵便局の簡易保険」から支払いが出たと聴いています。ALICO等を扱っているYMJ(ワイエムジャパン・0422-55-8486)の宮川氏の話だと、アリコの場合、免責日が0日で保険加入が簡単で、他と比べて保険料が安いようです。

    第┃ 11┃回┃登山届出と「役所」(2000/12/ 7)
    山を歩いていると尾根が何処までも続いています、この尾根が県境のことが良くあります。県境というのは実は厄介な問題を孕んでいます。事故の「窓口」は、おおむね県警外勤課なのですが、県境で所轄が異なると言うことです。この縄張りは厳密に守られています。例えば穂高で事故が発生すると、飛騨側だと岐阜県警(高岡署)の所轄で上高地側だと長野県警(豊科署)の所轄です。しかも「山岳事故」に理解がある人は「長野」「群馬」「富山」の山岳救助隊員位で、一般の警察官は一般人のレベルの認識しか有りません。「山岳事故」は「迷惑」をかけていると言う認識が一般的で、「警察」の事故者への評価は、まず「登山届出」を出しているのかどうかから始まり、その次は「山岳会」に入っているかです。二県にまたがる山域の場合両方に登山届出を出しておいた方が無難です(登山口に登山届出鰍ェないこともありますので県庁所在地の警察に郵送すればいいです)。
    登攀と縦走(ハイキング)を比べると、事故があったとき、登攀の場合は有る程度場所が特定できますし、もともと「危険」と言う認識なので「登山届出」等は提出されることが当たり前です。ハイキングの場合、(山岳会の指導・教育の結果)届出が自覚的に出されない限りほとんど提出されません。特に「単独者」の「行方不明」事故はそもそも「山」に本当に入山したの?と言うことから始まってコース自体わからないので捜索の範囲は無限と言ってよいです。
    山岳事故の救助等は、実際は地元山岳会に委託している所が大方の実情で「民間協力隊」と言う言い方をしています。
    「役所」の救助隊は奥多摩などは奥多摩警察の山岳救助隊があります、ただ実体は「一般警察官」と考えた方が良いです、面白いことに消防署の中にも「救助隊」が有ります、「役所」ですので届出が有れば当然出動してくれます。警察官で登山をしている人はあまり知りませんが、消防署勤務の方は結構知人にいます。警察より消防署の隊員の方が「山岳」に詳しい?のではと思います。
    以前、5月にご本人にとっては初めての山=「雲取山」に「単独」で行かれた男性の捜索救助に拘わったときは奥多摩警察と消防署にそれぞれ協力をお願いしました。その時は「縄張り」を越えて動いていただいた経過があります。
    自衛隊への救助は「死亡」が確認されている場合は出ません。ただし医療行為可能な人が「死亡」を確認する以外は、「生死不明」で良いと思います。

    第┃ 12┃回┃「八ガ岳は楽しいな」(2000/12/4)
    12月8日(金)の夜、労山の「望年会」に行ってきました。労山隊として来年「K2」を目指すと言うことを聞きました。常に山に取り組むという基本姿勢は何時までも大切にしていきたいものですね。山への「パトス」を持ち自分自身に「ネジを巻く」と同時に組織として実現をしていくことは当たり前なのだけども難しいですね。
    「K2」を舞台にした「バーティカル・リミット」を日曜日に見ました。私の場合「悲しい映画」と感じました。「岩場」での宙づり事故で「子供」を助けるために「命綱」を切るよう子供に命令し、墜落して死んだ親父。「K2」でアクシデントの「宙づり事故」で仲間を助けるために「命綱」を切って墜落していった名クライマー。山をやっている者として「古くて新しき」命題ですね・・・「エベレスト」「K2」の大量遭難事故の記憶がまだ新しい中、生存者から事故の生々しい「描写」が報告されていますが、それが映画にも取り入れられていて・・・エベレストで亡くなられた知人の難波康子さんのことを思いだしてしまいました。

    第┃ 16┃回┃事故とマスコミと「うるう日付処理」(2000/12/26)
    山岳保険は下山予定48時間経過してから「遭難」として扱いますからその時点から「保険」対象になります。その前は「遭難」としてみませんから48時間経過前に事故想定で動いたりした場合で「事故」でなかった場合は掛かった費用は対象外です。(「山岳会」の方は通常48時間経過するまで待っていません下山予定日の翌日夜に早くて一次隊を出すようになります:冬の場合下山が2日遅れるのはそんなに珍しく有りませんので、諸条件を検討することになると思いますが)
    例外として48時間経過していないにも拘わらず明らかに「事故」がわかっている場合は対象になります。例えばパーティーのメンバーから救助の依頼が入ったとか、又はマスコミ等で「遭難」として報道され「遭難」が既成事実化した場合などは此に当たります。
    山岳会"M"の会員が悪天候のため下山予定を一日オバーして、ビバークの後自力下山をしたことが有ります。下山予定が来たのに連絡が無いので「家族」が「警察」に相談した結果、(警察が家族に)捜索願を出させて現地県警が「遭難」として動き、結果としてマスコミに「遭難」報道がされたことがあります。家族から「会」の方に連絡が取れなかったので、警察が相談相手に担ったため、「山」の素人がすべてを判断してしまい、会が気づいたときは「民間協力隊」・へりが動いてしまっている状況で当然マスコミに「遭難」で流されてしまった後です。この時は下山予定日から6時間経過しないうちに警察に「捜索願」が出され動き出しているわけですが、新聞沙汰になったため「保険」の対象になりました。(保険会社とやり合っています)
    「家族」は一番の相談相手は「警察」になるのは通常ですが「山」の場合、警察は素人でしか有りません。山に入った本人達は自力下山したにもかかわらず、回りに多大の「迷惑」をかけてしまい・・・「山」にいけない環境になってしまいました。「悪天候」で下山が遅れたというのは下界の人には「理由」になりません。特に勤めている人にとっは「無断欠勤」というのは「理由」を問わず「反社会」的な事ですので、会社・家族には「会」の方から事情を説明してあげる必要があります。
    欧米のように「山」に入る人たちに「サー」を付けて「冒険」するチャレンジャーとして尊敬・敬うという土壌がない日本の場合は「迷惑」をかけたということなのです。・・・
    ところで、昨年あれ程騒いだ「Y2K問題」・・・今年はマスコミはあまり騒いでいませんね・・「Y2K問題」とは、コンピュータ西暦2000年問題の略称で、2000を意味する「2kilo」と年の「Year」を組み合わせたもの。なぜいまさらこんな話をと思われるかもしれませんが、実は間もなく訪れる「世紀越え」の瞬間にも、同様の問題が起きうる可能性があるのです。「うるう年問題」と呼ばれるものがそれです。ご存じの通り、うるう年は暦のずれを調整するため、4年に1度設けられます。しかし、実際にはさらに細かな調整が必要なため、100で割れる年は、うるう年にしないという決まりがあります。だが、さらにややこしいことに、100で割れても400で割れる年はうるう年という取り決めがあるため、結局のところ西暦2000年はうるう年となるのです。このうるう年の法則は「Zellerの公式」と呼ばれているそうです。Y2K問題はプログラマの常識だったのですが、このややこしい法則をどれだけの人が理解していたか? 2000年のうるう日付処理を勘違いしたプログラマが作ったプログラムは、Y2K問題を抱えた機械同様に誤動作してしまう。「Y2K問題」よりも極めて危なっかしいのがこの「うるう年問題」だと言い換えることはできないでしょうか?実際、うるう日であった今年の2月29日に多くのトラブルが発生したことを記憶されておられる方も多いはずです。既にうるう日に発生したトラブルで、ほとんどの対策は取られたはずですが、この年末年始が「危険日」であることに違いはないです。この日に何が起こるかは誰にも予想できない・・・。町でも山でも何が起こるかわかりませんね・・・

    第┃ 17┃回┃「ゴウロクゴウセツ」(2001/1/9)
     昭和56年の時、「豪雪」で電車は止まり、車道は通行止めになり交通機関が全滅の時がありました。俗に「56豪雪」(ゴウロクゴウセツ)と呼んでいます。大体十年おきぐらいにこの現象は起きているようで今年が20年目に当たります。
    穂高の前穂北尾根の「Sさん親子+女性」のパーティからU氏に救助連絡が入り急遽現地入りしました。結果として東邦航空のヘリのピックアップで収容され、何はあれホッとしました・・・現地で見・感じたことを書いてみます。
    長野県警豊科署の対応ーあまり期待していなかったのですが感心しました。(豊科警察に詣でするのは十何年ぶりでしょうか・・・私の先輩の死亡事故以来です)
    当初は、Sさんの件で動いた(上高地に10人入った)のですが、同時多発遭難でヘリ主体に切り替えたようです。東邦航空(中部山岳地帯の荷揚げなどを請け負っていますが、山岳事故の専門で吉尾さんの事故などでも活躍をしてもらっています)を全面的に信頼してました。
    「マスコミ」対応は完璧!!
    Sパーティは「中学一年生」が居ると言うことがあり、収容されるまではマスコミには明確にしないで押し通し、救助メンバーには「子供のことは伏せている」と明確にしマスコミ対応に注意を喚起してくれ、同行の女性のご両親にマスコミには「よくわからない」、「県警に聴いてくれるよう」との対応を指導してくれました。
    Sパーティーの状態
    北尾根五・六峰のコルから悪天候で撤退するときに六峰の下りを奥又側に間違って入り気がついてトラバースをしたが、雪の状態が悪く(女性が滑落する等アクシデントがありーザックが重い為?)割と安全なところで露営し、悪天候に捕まって、動けなくなった・・・ようです。
    本人たちの力量は私はよくわからないのですが、U氏が講習などで(S親子を)指導をしていたという関係はあります。
    下におろされた装備類を整理していて今回の遭難のポイントは「重さ」だなと思いました。三人パーティが食料を食いつぶして下山してきたのですが、それにしてはザックが「重い」とおもいました、ザックを開けて驚いたのは「シュラフ」が水浸しで凍っていました、此では冷蔵庫の中に体を入れているような状態です。「凍傷」の心配をしましたが幸いそれほど酷くなかったようです・・・「女の子」の装備が異常に重かったです。「北尾根」を登る装備?と言う物もあり・・・「ハイカー」の延長上の装備に近いと言ってよく、悪天候からの撤収ですからスピード命なのですがこの重さが致命的になったと思います。
    気がついた事を羅列します。
    ★全身用の「エアーマット」(一人分有り・他は普通のマットですー軽量化するとどうしても銀マットなってしまいますが、山行が長い場合は「エンソラマット」(注・)が良いようです嵩張りますがエアーマットより優れていると思います)は、定着ならともかくも重く嵩張りますし、結構パンクします。大きさは「全身用」の2/3で十分です。(もっとシビアになるとザックを轢いて終わりと言うこともありますが・・・)
    ☆三人ともゴチャゴチャしたザックで重い。(シンプルなザックが無くなっていると言うことがあるのですが・・・「人間工学に基づく」背負いやすいザックとか謳歌されていますが逆に重くなってしまいます)
    ★アウターウェアが今風の「重い物」で暖かいのだけど「ラッセルしたら暑くて、体を濡らします」、アンダーウェアがどんなに良くても悪天候の山行だとインナーウェアーがなかなか乾かないです「重ね着」の原則が大切だと思います。
    ☆エイト環とATCを併せて持っているetc.「軽量化?」。(二人)
    ★ナイフをナイフ用の「フォルダー」に入れていてザックに入れていた。「ナイフ」はホルダーなんかに入れずすぐ取り出せるように身に付ける事ェ大事だと思います。(一人)
    ☆夏山で、はやっている「簡易ビニール」水筒(一人)、3000mクラスの冬山では簡易ビニール水筒は開口部が狭いのですぐ氷ってしまうので「不適切」です。
    0.5Lのペットボトル(二人・ペットボトルの開口部が大きい物は割と使えますが・・・現在大きめの開口部のペットボトルはほとんど無くなっています)はどれも開口部が小さくすぐ凍りやすい。
    ★ 冬山用「暖かハット」(三人、その上に「ヘルメット」をつけていたようです)ヘルメットを使うので有れば「目出帽」で十分です。(あとはネックフリースを併用すれば便利ですね)
    ★ ☆フリース手袋(見かけは派手で暖かそうなのですが)が主体で毛糸ののは少なかった、ミトン等は皆無・・・。私も以前使ったことはあるのですがシルクの手袋などはあまり暖かくない・・・アウトドアーで使うには良いのですが冬山ではあまり使えないように思います。
    ★二人のシュラフカバーが「エントラント」の様な物(・)で此は中から蒸れます。ゴアテックスがベストなのですが、残りの一人はゴアテックスなのですが「モンベル」の裏地が起毛している物で一見暖かそうなのですが濡れると良くないです・・・ビバーグが上手くいかなかったようです。(最終的には雪洞ビバーグでしたが濡らさない工夫が大切ですね、長いとどうしても濡れてしまいますがチョト異常に濡れていました。)
    軽量化していればもっとスピードがあったと思います。「山」をやっていれば「イケイケスタイル」になりますし、単に登れればよいという形になりやすいのですが・・・「山岳会」が教育の場でなくなり、「パートナー」を求める場に成っているように感じます、又、「情報」が容易に手に入ります。いざ自分がやるときはイ{的な事柄が疎かになっているように感じます。「実践」と「理論」のパラレルな関係が無くなっているように感じます・・・でも三人は帰ってきました。此からです・・・
    年始に事故で亡くなられた方の冥福をお祈りします。
    以下(注)
    ・エンソラマット
    柔らかい発砲スチールの様な素材(エンソラ)を使ったマット
    ・シュラフカバーがエントラントの様な物 
    「エントラント」は通気性を作るのにアウターに塗る(コーキング)膜の一つです。その膜がエントラント(製品名)と言うものです。(膜には科学的に穴が空いています。ゴアの穴より小さいので通気性は悪いです。)シュラフカバーはゴアですね。

    第┃ 25┃回┃「C・C"昴"」創立(2001/3/28 )
    今度、山岳会"M"を退き、活動の場をサロン"昴"に移すことになりました。サロン"昴"は交流の場・学習の場にしていきたいと考えています。それの核として又、山岳保険未加入者等の受け皿としてC・C"昴"(クライミングクラブ"昴")を創設しました。東京都勤労者山岳連盟に加盟申請をしました。先週谷川の滝沢下部で雪崩にやられたのはアルパインガイドのKさんのパーティーで、幸い(生徒が)怪我ですんだようです。あれだけの経歴でも吉尾さんの例に漏れず「事故」は付き物ですね・・・

    第┃ 77┃回┃ 「謹賀新年」(2002/1/7) 
    ●正月早々に悲しい連絡が飛び込んできました。
    トーホーエアーレスキューの篠原秋彦さん(吉尾さんの時にもお世話になった東方航空のヘリのチーフ)が亡くなられました。報道では次の通りです。
    6日(日)午後0時30分頃北アルプス鹿島槍ヶ岳一ノ沢の頭(2000m)県警から依頼され、北九州市の4人パーティの救助中。作業中に姿が見えなくなり、30分後に約10m離れた地点でパイロットが発見。病院に運ばれたが、全身を強く打ってまもなく死亡。外傷性ショック死。4人を救助用ネット(モッコ)に収容し、一緒にヘリに吊り上げられたがその直後に転落したらしい。

    第┃ 78┃回┃ 「謹賀新年その1」(2002/1/8) 
    ●私自身正月早々にショックな事故に出会ってしまい、まだ立ち直れません。 
    3日に初めて城ケ崎にフリーの仲間といったのですが、なんと目の前で女性が墜落したのです。それもロワダウンで。(私:支点抜けでしょうか?ザイルの結び方のミスでしょうか?ビレー解除でビレーヤーがザイルを確保器から抜いた後「テンション」墜落でしょうか?幕岩の「スパイダーガール」で「テンション」墜落死された現場にいたことがあります。) 一時間後にヘリで運ばれました。命は取り留めたと思います。しばらく体の震えが止まらず仲間と帰って来てしまいました。それもこちらが前日途中まで残置したランナーで登ったり、次こちらもスタンバイしていたりで本当に周辺にいただけに全員がすごいショック状態になってしまったんです。 10m近かった。5日6日に、仲間との氷を予定していましたが中止しました・・・
    以下詳細
    もう忘れたいと思いながら、フリーをやっている人々にとっても当然関心事ですし、なぜ落ちたのかについて疑問が多いだけに吹っ切れないままに、お話しすることになると思います。私の仲間が、途中まで残置したランナーのルートに今日も取り付こうと行った時、男女ペアーが先に登らせて欲しいという申し出あり、男性が先に上り、次に女性が登って、その下降中に彼女は墜落したのです。彼女の上るのをずっと見ていたのですが、何も問題はなかったと記憶しています。 25mの終了点から下り始めたところで、私の仲間も靴をはくなど準備はじめ、、もう一人の仲間がビレイの準備に入って、彼女を見上げたとき、彼女の前に2本のロープが下りていてランナーを外したとき、一瞬にして墜落しました。ロープは、支点からハーネスにしっかり結ばれていて、ビレイヤーは唖然とするばかりでした。 私自身は、下降の後半には隣ルートの確保準備しようとしていた時で、おかしなロープ状態をみてなかったのですが、仲間は、大きくブイになっていたと言ってます。これはまずいなと思った瞬間、彼女がランナーを外してしまい墜落となったということです。
    フレ止のランナーとしか考えられないのですが。いづれにしても考えられないミスだと思いながら、下降中だったということに、より怖さがつのります。しばらく動かなかったのですが、ヘリを待つ場所に移動されるころは、気がついていましたが、少しでも軽症であって欲しいと祈らずにはいられません。初めて行った城ケ崎だけに、本当に残念でなりません。仲間と何回も原因を話しましたが、ビレイヤーが「彼女のロープが短かったのかなー」そして「セルフの取り直しでもしてるのかなーと思った」というはなしを聞きますと、上部一箇所取り忘れて、フレ止めをしたまま下降し、途中で気がついてそれを外したのかなーと思っています。
    少し冷静に話せるようになりましたが、まだ立ち直れていないのでその辺お察しください。  以上・・・城ケ崎の事故報告です。(H)

    第┃ 79┃回┃ 『事故』(2002/1/10) 
    ●正月『遭難』
    今年の正月『遭難』の同流山岳会の三輪氏の話がネットで流れていますので以下、引用します。
    同流の名前を出すと、非難ごうごうで大変なことになりそうですが、今回の事件について記述します。なお、これから記述する内容は、私の個人的な意見です。同流山岳会としての見解は、集会をそれほど開けないことや、事故を起こした当事者の気持ちの整理などもありますので、しばらく時間がかかると思います。私の立場:同流山岳会の会員になって22年。(24歳の時に入会して現在46歳です。)途中3年ほど代表を務めました。同流のホームページは私の名前で契約しております。最初は私の個人的なホームページで立ち上げたのですが、途中からプロバイダーに同流だけで契約しています。立ち上げてから5年ほど経っており、このうち3年間くらいは同流の会費からお金をもらっています。ということで、同流のホームページは同流の公式サイトといってよいと思います。去年の暮れからホームページの管理をしています。今年の正月合宿には、参加しなかったのですが、緊急連絡先を勤めました。この数年は、仕事の関係などもあり、集会も欠席気味で、山にもあまり行っていません。バリバリやっていたら、もう少し積極的な発言が出来ると思うのですが、、、ということで、同流山岳会の会員ではありますが、ちょっと身を引いた微妙な立場です。当事者といえば当事者のような気もするし、責任を取れ、といわれても、うーーーんとなってしまいます。等と書くと、非難ごうごうになりそうですが、正直いって難しい立場です。なお、長いことやっている割には、山の実力は全くたいしたことないです。
    事故について:
    (詳しい状況報告はまだ、当事者に会っていないので記述できないのですが、私の知る範囲で書きます。)事故?というには、私も実は疑問を持っています。最初、下山予定日の3日に、まだ肩の小屋に閉じ込められている、という報告がありました。4日の夜になって、肩の小屋の方から、横浜山岳会の人と一緒に救助要請してほしいという連絡がありました。そこで、横浜山岳会の人と協議した結果、遭難届を神岡警察署に出すことにしました。ちょっと、責任逃れになるのですが、この判断は同流の代表と横浜山岳会の方が相談して行っており、私はその報告を受け、会員に情報を流しました。この時点で、食料燃料とも数日分あること、けが人もいないことを把握しています。あとから考えれば、この時点で、少し待ってみたら、ということを肩の小屋に進言することは出来たかもしれません。しかし、この時点では、天候の回復がしばらく見込めないこと、新雪が沢山降っており、雪崩の危険もあり、予定日を過ぎていることもあり、遭難届(救助要請というべきかもしれません)を出すことについては、私としては、妥当だと思いました。また、目的地が、槍ヶ岳で、槍沢経由ですので、岐阜県警に出すのは自然だと思います。ヘリを出してもらう場合、岐阜と長野で金額が違うことについては、問題になってはじめてそういうことを聞いたことがあるな?と思った程度です。この時は、とにかく元気で帰って欲しいと念ずるばかりでした。それとともに、大喰岳西尾根なら、ヘリが飛べるくらい天気が良くなる前に、自力で下山したほうが良いのでは、とも思っていました。しかし、一度遭難届を出しているため、後は警備隊(警察署)の判断に任せることになりました。翌5日は、天気が悪いことと、他の遭難事件があったため、私どもの方は救援隊を4人現地に向かわせた程度です。そして、6日に無事下山し、現在に至っています。緊急連絡先であったため、4日の朝から6日かけて、電話応対に追われました。また、同流のホームページの掲示板に、好ましくない記述が増えてきたのと、ホームページ自体に個人のプライバシーに関する項目がありましたので、閉鎖して現在に至っています。ホームページに関しては、会のほうで協議した上で対応を決めようと考えています。
    今後について:私の希望としては、せっかく長くやってきたので、会は継続したいと思っています。そうすれば、山の仲間と又山に行くことも容易です。私自身はあまり活動できないことから、もう少し若い人中心に続けてくれたらと思います。しかし、他の山岳会の方に迷惑をかけているので、ちゃんとした説明をしないと、継続が難しいと感じており、存亡の危機に立たされていると、認識しています。山にあまり行っていない人間が発言するのも変なのですが、今回の事故の背景には、かなりの油断や判断の甘さがあったような気がしており、まずはそこを素直に反省して、今後事故を起こさないように立て直すことが必要かと思います。登山は、自然の厳しさにぎりぎりまで向かい合うスポーツだと思うので、安易にヘリを呼ぶのは許されません。しかし、世の中は進歩しており、肩の小屋から携帯で簡単に連絡できてしまう時代です。安易にヘリが使われる反面、これまでより、生存して帰る機会が増えていると思います。やはり、人命が第一だという観点から今後の対応を考えていくのが良いと思います。あまり、頭が整理できていないので、長々と書いてしまいました。是非、皆様のご意見をいただければと思います。@@@@@同流では、2年少し前に、2人を亡くしております。私の親友でした。ということで、今回、いろいろ非難はありますが、無事に帰ってきて、本当に良かったと思っています。(終わり)

    山岳会は「事故」結果から会員を守る「防波堤」の役割を果たさなければ成りません。私の考えですが、誤解を恐れずに言えば・・・たとえ、会員の判断が「甘くて」責められる状態であっても・・・それは現場としては「最良の判断だった」としてすべきですし、又、上記の文には「現場」を思う気持ちが良く現れています。会内部としてはこれから月日を費やして会員の中で消化していけばいいと思います。個人では「社会的」な非難に対応しきれないのは当たり前で・・・今、同流山岳会はその「社会的」圧力に、会員を守る「防波堤」の役割をしている「会」を運営しているメンバーがまいっていると言うことです・・・応援してあげたいと思います。、大切なのは会を潰すような事でなく、これを教訓に「会」の一層の発展と組織として会員のとしてのまとまりですし、「会員」の「山」への復帰です。

    第┃ 80┃回┃ 「小春日和」(2002/1/16) 
    ●正月『遭難』の同流山岳会の三輪氏の話についてネットで流れていますので以下、引用します。
    ・田中裕之@ぶなの会 です
    私も、友人から言われて横浜山岳会のHPを拝見しましたが、掲示板に溢れるあまりの言葉の暴力に暗澹たる思いでした。
    >> また、目的地が、槍ヶ岳で、槍沢経由ですので、岐阜県警に出すのは自然だと思います。
    どちらに要請するというような問題ではないのではないでしょうか。強いてどちらかと言うなら、登山計画書を提出している県警に連絡する方が、メンバーの把握などで警察との意思疎通に面倒がないのでしょうが、いずれにしても、とくに3県の警察(富山を入れて)はかなり連繋が進んでいて、どっちの県警に救助要請しても、出動可能な県警が助けにきてくれるようになっていると聞いています。どこに救助要請するべきかという問題は、そもそもありえないと思っています。
    >> ヘリを出してもらう場合、岐阜と長野で金額が違うことについては、問題になってはじめてそういうことを聞いたことがあるな?と思った程度です。
    これについては、全くありえません。もちろん、警察や消防のヘリと民間へりとでは、前者は費用を請求されませんが、他方は通常のチャーター料を請求されます(それでも、かなりオマケしてくれる)。しかし、どのヘリを出動させるかは、救助要請を受けた警察がいろんなヘリの運航状況や性能などを勘案して一方的に決めるだけです。警察や消防のヘリが来てくれるか(はたまた自衛隊のヘリが来てくれるか)、民間のヘリが来てくれるかは、来てみなければ分からないのが普通です(ちなみに、私の会では、警察にも消防にも自衛隊にも民間にも助けてもらったことがあります)。
    岐阜なら無料(県警ヘリが来てくれるから?)だと言ってみても、それはたまたま岐阜県警のヘリが出動可能な状況だったから県警へリが救助活動をしてくれたわけで、ヘリがほかに出払っていたり整備中だったりすれば、警察から出動要請された民間ヘリ来てくれたと思います。それは長野でもまったく同じはずです。
    なお、私の会は労山に加盟していて、労山が運営している遭対基金というのに全会員が加入しているのですが、民間ヘリ会社からの請求があればこの基金から全額給付されます(それも仮給付制度があるので、請求と同時に民間ヘリ会社に基金のお金で支払うことができます)。安易にヘリに頼るのは問題でしょうが、民間ヘリ救助の費用を賄えるだけの保険加入は必須装備だと認識しています。
    ・"昴"メールの同流の記事拝見しました。以下。
    (労山の遭対基金)山岳保険の担当者です。困ったり、悩んだりされました時に、ヘリを呼べる状況におりでしたら、呼ばれたほうがいいと思います。亡くなられましたら、保険は払われます。うちの山岳保険は、遺体の捜索費用もすべて補償されます。でも、無事にお帰りになられてこそ、山岳保険の意義が生きてきます。 労山遭対基金管理委員会  K

    第┃ 82┃回┃ 「小春日和?」(2002/1/31) 
    ●事故の報告をします。聞いた話で、現場に居たわけではありません。1月13日に、八ヶ岳の大同心の大滝で、起こりました。3人パティーで、トップが、落とした氷を受けてビレイヤーが、頭に怪我をしました。ラインは、右で、支点は、ラインの真下だったそうです。ヘルメットが、真っ二つに割れて頭から血を流し気を失ったそうです。鉱泉に、テントベースを張り登ったそうです。鉱泉に救助要請をして小屋の方が、2人で、交代で、おぶって降ろし堰堤に止めて有った車で、美濃戸口まで、下ろし救急車で、近くの病院に、搬送したそうです。請求は、1人4万円で、車代が、1万円で、9万円の請求が、来たそうです。
    ◎事故の原因として・・
    ◆ 支点の取った場所が、悪かったようです。(私:ビレーポイントはトップの上るラインを外しましょうね結構、事故があります。・・・氷りも岩と同じです。)
    ◆登った人は、大滝に初めて登ったそうです。
    ◆この日、美濃戸口に居たのですが、気温が、とても高く落氷が、多かったのでは?
    ◆幸いに、怪我は、大した事は、無く脳波の方も異常が、無かったようです。
    ◆落氷のシッョクをヘルメットが、割れる事によって吸収してくれたのでしょう。さらにヘルメットの下に、帽子を被っていたのが、良かったのでしょう。(私:知人はヘルメットが割れず首の頸骨が曲がってしまい、気づかず後で大変だった事ことがありました。割れてショック吸収キると言うことは大切です)
    ◆止血帯を持って居たのですが、小さい物で、役に立たなかったそうです。
    ◆女性の生理用のナプキンが、とても効果的だったそうです。事故怪我は、付き物ですが、細心の注意を払って楽しみましょう。byS (^。^)屮 

    第┃ 83┃回┃ 「山は豪雪です」(2002/2/7) 
    事故がありましたので、報告します。日曜日美濃戸口でトレーニングを始める前に落氷(又は落石)で、目の上の打撲・唇を切るアクシデントがありました。幸い軽傷でした。以下参加者の報告です。
    ●事故の報告をします。  
    不運としか言えない出来事が自分に降りかかってくるなんて・・信じられない出来事でした。すぐ病院に連れて行っていただき本当に有難うございました。左顔面の額とまぶたの上強打、唇が奥まできれて縫いました。またあごをうっています。地元の病院でレントゲンとCTをとり全く異常なしということでした。痛みは、見た目の腫れ状態の感じより痛くありません。あの出来事の状況を振り返りますと、上の支点から降りてきたロープを取りにいって、上を見上げながら10歩位もどったところで直撃でした。一番高い所からだとして10数m、一秒ぐらいでしょうか、当然落ちてくるのも私の視界には入っていません。激しい激突があって目の前が真っ暗になりり、一瞬何が起きたのか判りませんでした。本当に悲しい有様でした。自分の顔が見えなくても、あっという間に腫れあがっていくのが判りました。 皆さんに大変ご心配とご迷惑をおかけしましたことにお礼とお詫びを申しあげます。また近くにいらしたUさんとお友達は、すぐに駆けつけてくださり手当てをして下さって本当にお礼を申しあげたい。この様な不運な出来事が誰の上にもあって欲しくないと祈るばかりです。でも前日、奥深く大雪の中をラッセルをして氷探しにいって見つけた短くも、垂直の氷は、硬くて硬くて手ばかり打ってましたが、誰も登った後がないだけに新鮮な感じで、楽しかったでした。(゜o゜)が元に戻るかどうか少し不安です・・・・。がそれ以外は、元気です。(H)
    ●C.C"昴"の加盟している労山の保険(共済)はケガでも出ます。保険の担当者から以下の連絡を受けました。
    給付の対象となります。給付申請に必要な書類をお送りします。通院は3日以上が対象です。通院の領収書を保管しておいて下さい。--------労山遭対基金管理委員会  K

    第┃ 86┃回┃ 「山岳共済保険の更新時期」(2002/2/25) 
    C.C"昴"が加入している労山の山岳共済保険の更新時期が来ます。日山協(都岳連)の保険と異なり高度障害(片目失明等)でなくても海外・人工壁等のケガ・通院でもでます。新規に加入を希望される方はお知らせ下さい。一口、年間千円、岩・冬山をされる方は十口加入をお勧めします。

    第┃93┃回┃「一回目登山教室」2(2002/4/12) 
    ●遭対基金セミナーの報告(現在勉強中:資料有り)
    ・登山届出が前提(「個別の山行管理は所属団体の定めにより山行届出の提出によって行う」)
    ・「事故発生報告」届出は事故後30日以内に規模の大小を問わず提出(後遺症の問題)。
    ・「給付」は保険年度(有効期間中C.C"昴"は3月〆)中、1個人2件までしかできない。実際の給付請求は「事故発生報告」を前提に保険年度までにすればいい。(問題無ければ、診断書は要らないが領収書等は必要:コピー不可)
    ・人工壁の事故については「施設管理者の事故確認書」が義務づけられている。
    ・「ドア・ツー・ドア」の給付。(駅の階段・降車後の事故等含む)ただし「交通事故及び交通機関の事故」は対象外。
    ・スキー場の事故は給付対象(山スキー・スノーボードの練習ということで「山行届出」提出が前提です)
    ・継続して加入の場合「救助・捜索の補償」が1年度×10倍ずつUP最高400倍迄(初年度払込金額の300倍)

    第┃92┃回┃「一回目登山教室」(2002/4/3) 
    3月後半の連休にアルパインガイド協会の堀田さんが後立山の「赤岩尾根」で亡くなられました。今、山歩きをするのにストックを使用される方が多くなりましたが、かって宝剣岳で滑落し亡くなられたアルパインガイドの「笠松」氏と同様に氏も滑落をしたときにピッケルを手に持っていなかったため滑落を止めることが出来ず、亡くなられました。氏は「中高年の岩登り登山教室」を長年開催し特に三ツ峠がホームゲレンデでした。ご冥福をお祈りします。

    第┃ 95┃回┃「教室」・(2002/4/25)<長文> 
    ●遭対基金セミナーの報告の追加
    資料で奥多摩の「青梅警察署山岳救助隊」の作った「平成13年奥多摩山岳遭難救助活動状況一覧」を貰いました。発生件数は24件、1月・6月・12月以外は事故発生月で、ヘリは12機使用しています。つまり月一回はヘリが出動したという事です?! 出動延人数は158人、一件に7人位が動いた。結果として死亡3人・重軽傷15人・無事救出7人・行方不明1人。凄い数字ですね・・・


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