山と登山技術

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Nomal黒部・丸山東壁「緑ルート」(0) |



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■21 / 親記事)  「旭岳東陵」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:59:49)
    第┃ 21┃回┃「旭岳東陵の山行報告」(2001/2/13)
    1年で最も寒い2月に入りましたね。家への帰り道ではあったかいお鍋が恋しいのに、街ではウィンドウに飾られた春の装いに目が行ってしまう、複雑な季節です。

    R山の「中央アルピニスト学校」の手伝いで八ガ岳「旭岳東陵」に行って来ました。「中央アルピニスト学校」との関わりは、故吉尾弘さんから仕事(ガイド)を手伝わないかと言う話しが有った時・・・個人的な理由で「山」から疎遠な状態になっていたので、代わりに転職したてで「生活」が大変だったU氏を推薦しました又同時に、R山の「中央アルピニスト学校」の講師に私を推薦をしていただいたのが始まりです。私よりは、油が乗っている「U」氏そして豊富な登山実践の上に山岳ガイド経験がある「O」さんの方が良いのではと思いお願いしたのですが・・・。今回、Oさんがやられる予定だったのですが、2月9日(金)〜13日(火)までは予定が立たなかったのでお手伝いと言うことで前半の2月9日(金)〜11日(日)を受け持ちしました。
    諏訪観測所開設以来の「大雪」と言う事でしたので、「中央アルピニスト学校」の担当者に技術を教えるので有ればルートは「手間が掛かりすぎて」不向きで他の所に変えた方が良いのではと提案しました。それに対して「技術」を教える事が目的でなく「アルピニズム」を学ぶ事がメインです・・・全装備を担いだクライミング、そしてトレースのない一日前に入山をする・・・説明を聞いていてウーン?!「発想の転換」と言う感じでした。効率よく登ることを常に考えていて「ワカン」を使うようなら入山を見合わせてきた自分の山登りでしたが、「全天候型の力」をつけるというので有ればそうしたことが必要だと思いました。正直言ってこれは「仕事」じゃないなと思い自分自身に「ネジ」をまく必要性を感じました。全行程をラッセルし、荷を担いで全ピッチリードするために荷物の軽量化が絶対的に必要です。1983年の2月に「旭岳東陵」行ったときはシュラフ無しでしたが、今回は夏用のシュラフ位までは良いとして、手袋はラッセル用・登攀用・縦走用に分けて用意して「寒気」が予想されたので防寒具には気を使いました。「中央アルピニスト学校」は技術的なことは「地方」で(各地方連盟が登山学校や講習会をやっているので)、一歩「高み」を目指して「中央アルピニスト学校」と言う位置付で「地方」連盟の推薦の上で講習生を募集するという形を取っていました。

    2月9日(金)晴れ、奈良の講習生(以下Oさんと略す)と二人で八時半に「清里」に着く・・・頼んでいたタクシーで美しが森の駐車場まで運んでもらう、ここからラッセルが始まった通常なら林道途中の車止め辺りまで車で入れるのだが、今年は様変わりしている・・・出合い小屋まで通常の倍の六時間掛かった。状態によっては「天狗尾根」でも、と事前に事務局とで話合っていましたが・・・出合小屋でOさんにどうしますかと聴いたところ「旭東陵」という意志表示が有った・・・「行くしかない!」。
    途中、懐かしい「権現岳東陵」の取り付き迄行ってしまったりしましたが、無事「旭岳東陵」の尾根に取り付き割と良いところでツェルトを張って快適に寝ることが出来ました。
    2月10日(土)今日もラッセルだ・・・尾根なのにアイゼンの上にワカンを付けたり外したり、ザイルを出したり・・・ひたすらラッセル。やっと上部の「壁」というゴジラの背中の瘤の取り付きにたどり着くも午後の三時を回っていた。1ピッチ目瘤の上の雪はキノコの傘のような雪で、バランスで立ちなが
    ら根本をひたすら掘ると灌木が出てくるそれにランニングビレー取ってからピッケルを振り回してキノコの傘の端を壊してからそっと乗っかる・・・結局一時間半掛かってしまった、暗くなりかけてきたけど進まなければ見通しが立たない・・・ヘッドランプをつけて夜間登攀・・・更に一時間位したら稜線まで
    三ピッチ位の所に出た稜線の向こうは風が強そうだったしOさんも大分疲れているようだったので、あまり良い場所ではなかったが斜面を整地してビバーグすることとした。両側は切れているがセルフビレーを取ってビバーグ。寒気と寝る体勢が悪くて辛かったと思いますが良い天気で朝を迎えた。
    2月11日(日)残りのナイフリッジを登り稜線に出る。猛烈な風で立っているのが辛い・・・赤岳まで冷たい風に叩かれてラッセル、途中キレット小屋付近で振り返れば・・・「旭岳東陵」上部の「壁」の取り付きの辺りに5・6人の人影が見えた、文三郎を通り行者小屋経由で赤岳鉱泉に居るOさんと午後二時
    半に合流することが出来た。
    1983年の2月に「旭岳東陵」行った時の事はもう思い出すことが出来ません・・・少しはテクニック(軽量化等)の面では自分自身が成長しているのかな?・・・。でも(攀る)意志と愛情(入れ込み)は昔も今も同じだと思います。

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■20 / 親記事)  黒部丸山「左岩稜」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:43:55)
    第┃ 55┃回┃一言で、アルピニズム!! 黒部丸山「左岩稜」 
    (2001/10/10) 
    10月6〜8日(土〜月)黒部丸山「左岩稜」 メンバー H・S・N
    入山日洞窟まで、2日目頂上(バリエーション上部O・C・C)、3日目下山
    今もなお、あの登攀のすごさが体中と心に焼き付いていて、しばらくこの充実感に浸ることでしょう。  これが・・・アルピニズムだー。
    頂上に上がった時の安堵感は、とろけそうでした。終わってみて、一日目の私は、何もわかっていなかったなーと思いました。 楽しさは当然ながら、苦しさ、それ以上に怖さが増ごとにより運命共同体を感じました。 三人の連携プレイがどんなに大切か、・・・・・・Sさんは堪えず私をサポートしてくれました。後ろに彼がいなかったら私は、もっと最悪だったことは確かです。 本当にすごい経験でした。 人工登攀、新人の私にとって何もかもが。トップのすごさに感動しまくったり、草つき、木登りのこと、脆い岩、錆びきったハーケンに体重をかける恐怖、きつい藪こぎ、セカンドの仕事岩でのビバーグ、などなど、そうだ!! あぶみの操作手順の未熟さ、テクニックの無さ、・・・・本当に情けない!!! いろいろなこと教えていただきました。この三日間のこと生涯忘れないでしょう。お天気にも恵まれ紅葉真っ只中の素晴らしい思い出に、そしてNさんとSさんに心から感謝をします。有難うございました。実は、よくやった、と言って下さった言葉を思い出して、一人ウルウルしています。・・・アブナイ・・・アブナイまたその気になったりして。(H記)
    トンネルの中でのポチ(注:荷物を運ぶ台車の愛称です。黒四のトンネルを歩くのに荷物を担ぐのがイヤでボチの出番です。)の活躍は、実に素晴らしかったです。初めて岩場でのビバークでしたが、快適?でした。水が、少ないビバークも良い経験に成り、涌き水を飲んだ時は、あまりの美味しさに、感激しました。上まで、詰める事もアルピニズムを感じられ紅葉の薮漕ぎも又、格別ですね♪ 何より、ルートフィンデングと色々な操作が、自分に、取って、課題だと思いました。左岩陵『巨人の右足』は、色々な要素が、含まれて総合力が、必要だと実感しました。又、行きたいですね。何よりも天候に、恵まれた事とメンバーに、感謝・感謝!( S 記)
    予定日、一日オバーしてしまいました。行ったところは三回目なのにすっかり忘れていて、はじめていったようで新鮮でした。あげくの果て、5mも墜落してしまい・・・(25年のクライミング人生で、本チャンで3回目です・・・「唐沢岳幕岩」右ルンゼルートと谷川岳衝立岩「蝸牛」ルート)無傷なのは運が良かったと思っています。人工から、フリーでトラバースする部分であと30cmで木の根っこに手が届くところだったのですが左足の草付きが剥がれてしまい落ちました。壁の中で一泊、頂上で一泊。力不足でタイムオバーでしたが、目的の「本チャン」をイヤッと体験してもらえました。「本チャン」の「認識」を新たにしていただいたようです。水を2リットル上げたのですが予定日をオバーしたために最後は水不足に悩まされました。下降路も以前使ったところでしたが・・・後から思い出す始末で・・・年を取ると忘れぽくなります。上部の「木登り」「草付きの処理」はサデの大岩・幽の沢の草付きと同じくらい悪かったです。   (N 記)

    第┃ 72┃回┃ 「山だより」(2001/12/10) 
    ●冬の長野方面からの「黒部」へのアプローチとして利用されていた「扇沢」から黒部ダムまでのトンネルがこの冬は「テロ」対策で「登山者」を完全に閉め出すそうです。「ホワイトアウト」(映画)が現実のものとして想定されて対策がとられていると言うことなのでしょうか・・・?冬の黒部丸山は当分無理ですね・・・

    第┃ 77┃回┃ 「謹賀新年」(2002/1/7) 
    ●今年は黒部に入る「扇沢ルート」が閉ざされてしまい。黒部「丸山」は絶望なのですが・・・来年以降は、冬も観光ルートとして、解放されそうです。北日本新聞の「立山・黒部通年観光へ」大町ー室堂を冬季運行 http://www.kitanippon.co.jp/cgi-bin/news.cgi?id=A300#001

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■19 / 親記事)  「韓国・インスボン」(2003/10/23更新)
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:39:12)
    第┃ 38┃回┃課題「韓国・インスボン」(2001/5/18)
    > INSUBONG、興味あり。どんな具合になるのか情報をください。
    四日間の場合。
    朝、日本の成田を出発します。2時間位でソウルの金浦空港に着きタクシーでソウル市を半周し登山口のトソンサという寺に着いて、此処から国立公園の中に入り2時間位歩いて、白雲山荘に着きます。大体夕方ですか、着くのは、歓迎の「焼き肉」が待っています。2階建ての山小屋(個室になってなく大部屋の様な所で20人位が楽に寝られます。床は畳でなく板間)翌日は朝、山荘で朝飯をいただき裏のインスボンに登りに行きます。午前中一本登り、頂上を踏み裏の南面を懸垂三回でコルに降り、15分位歩いて山荘に戻り昼飯を食べます。(山荘のホットソーメンとビール?濁酒もあります・・・とキムチとお豆腐が口に合わなればカップラーメンなども売っています)午後同じように登り山荘に帰ってきます。夜の食事が待っています。翌日も同じですが、午後(のクライミングはないかもしれません、マー早めに帰ってきて)下山し、ソウル市内の南大門か東大門のホテルに宿泊をし、買い物(秋は韓国産の松茸が買えます!!)兼食事です。翌日、日本に帰ってきます。韓国の食文明は味わい深い物があります。儒教に裏付けされた人情は細かいです。なお夏は日本の梅雨前線が上がって雨が多いです。行くとしたら春か秋です。

    > どんな登りになるのかよくわかりません。
    インスボンのクラッシクルートの特徴は大きく言って二つあります。一つは下部のスラブ帯です。大体50mザイルで下部と上部を繋ぐオアシステラスまで2又は3ピッチ有ります。このスラブは日本では味わえない物で登っている内にスラブが立っているのか寝ているのか分からなくなります・・・ワンピッチにランナーが5本も取れれば良い方です。上部は3〜4ピッチ有りイボンショイナードが海軍の時に訪れてクラックルートを開くまではフェース+チムニーのルートがほとんどです此がもう一つの特徴です。一つのルートでスラブ・チムニー・フェース・クラックと言うクライミングのエッセンシャルが味わえる・・・という事です。ガチャはエイリアン・キャメロット(フレンズ)・大きめのキャメロット(フレンズ)をもろ使います!!クラシックルートで有ればスラブは難しくても5・8位です。フェースクラックは5・10aのぼれれば大丈夫です。トップとなるとチョト違いますが・・・なお、もっと易しいルートもいっぱいあります。勿論今のフリークライミングのルートもあります。希望のある人は一緒にトレーニングしましょう!

    第┃ 52┃回┃「韓国仁寿峰」無事終了(2001/9/18)     
     ニューヨーク・マンハッタンの超高層ツインタワー、世界貿易センタービルが、轟音とともに崩壊した。続いて、世界最大最強の軍隊の総本山、ペンタゴンも炎と煙に包まれた。11日、起こった世界史上最悪のテロ惨事は、米国のシンボルが相次いで狙われ、少なくとも数万人が死傷したとみられている。これはテロというより、戦争ではないか。映画を見るような惨事の被害の全容が明らかになるにつれ、世界中に衝撃が走っている。テロを憎むと共に報復戦争に向かうアメリカ・世論の中で被爆国として終戦を迎えた日本の追体験を根拠に「反戦」の原点を見つめ直してみたいと感じています。

    韓国「インスボン」無事終了しました。
    成田空港の出発カウンターはかってない程ガラガラで「テロの後遺症」を実感しました。参加された方のレポートは後日載せる予定でお願いしていますが、やはり今回の日程4日間に+2日位は欲しいと感じました。でも天気に恵まれ充実した4日間でした、不慣れもあり参加者にご迷惑をかけた事もあったと思いますが此に懲りず次回もよろしくお願いします。参加者の全身についた擦り傷が今回のクライミングの楽しみ・多様さを現していると想っています。(ヤブ蚊に刺された痕の事ではないです)事前のトレーニングが不十分でした。もう少しトレーニングに力をするよう企画・努力をしていきたいです。それでも「インスA」「ウジョンB」「ショイナードB(2P残し)」等クラッシックで代表的な所は行けました。概念は理解してもらえたと想います。

    第┃ 53┃回┃「アンニョンハセヨ!!インスボン」(2001/9/19)     
    帰国直後の熱いうちに感想を残したいと思います。
    全体について
    韓国も、韓国の岩に取り付くのも初めての私です。仁川空港からスタートしたタクシーから見る景色が、そして左ハンドルの走行も、車内のラジオから流れる演歌も、そういえば帰りのバスのラジオからも演歌やらトークが流れていましたか゜・・・違うなー・・の印象でした。ほとんどハングル文字のためさっぱりわからないので旅行者には厳しいなというのも大いに実感しました。体形も顔立ちも似ているのに、まさに近くて遠い国を感じるんです。山小屋の食事は、小さな小皿で8品もあり、到着当日の夕食で感激しましたが、まさかそれに近い豪華? 朝食までもが連日続くとは。帰りのお風呂に入ったとき、くず籠の中に、沢山のきゅうりが入っていたのには、今でも驚きのひとつです。物価が信じられないほど安いのは、最大の魅力でしょう。 (およそ日本の半値、小屋の宿泊費は三泊で日本の一泊分以下)これからも驚きと、韓国の魅力は更に増えるに違いありません。
    岩について
    ソウル市内から1時間半以内で取り付けるなんて、いいですね。美しい巨壁、仁寿峰(インスボン)に出会うまでが石畳をぐんぐん登る、足の鍛えにちょうどいい。まさに初めて見た印象は、「ひぇー登れないよー」って思わず出たほどそそり立って見えました。小屋の屋根の後ろからも間近に見えて、美しさに感激しながらも翌日からのクライミングに複雑な気持ちでした。
    14日は、金曜日の爲まだ空いていました。 登りやすいクラシックルートということで「友情B」を登りましたが、登りやすい??「うそ!」、初めて触る岩ということもあり、緊張の上、3ピッチ目のチムニーは、経験したこともない長さで、資料によると45メートルだとか、バック&フッドの要領を後半でやっと得て、その後、これまた登りにくいダブルクラックと続き、きつかったー、・・高度感もあり本当に夢中でした。スラブあり、クラックあり、チムニーありで、5.8とか5.9のグレードが全く覆された感じでした。午後のショイナードBは、クラックルートでした。 とくに3ピッチ目のクラックは、私には、足で登るというのを、実感した大格闘のクラックでした。 時間切れで頂上まで上がれず少々心残りでしたが、次回の楽しみに ? しましょう。その日の夕方には、かなり体中の筋肉がびしばしき始めていました。
    15日は、土曜日で、沢山の韓国青年(女子も)等が続々と上がってきてインスボンは、若々しい彼らのハングル語が、あちらこちらで飛び交う大変賑やかな一日でした。クライミングスクールも盛んで、現地を知り尽くしている先生の指導で、活発に行われていました。仁寿Aを登りだした我々の後には、現地青年パーテイが待ち状態で、私こと、日本人女性中高年クライマーとしては、スマートに登りたいと少し気合を入れました。
    手ごわいスラブあり、3Pの長いきついクラックあり、その上、またまたチムニーあり同行のUさんの言葉「根性いるね!」と私の「絶対登ってヤル!」の気合とで、頂上に立てた時、本当に嬉しかったです。フリクションは、全体的にいいけれど、1ピッチが長く、集中力と体力の持続力が要求される気がしました。浅い経験しかない私ですが、2日間で様々の要素を持っているインスボンで本当に多くのことを体験しました。またぜひ行きたいと思います。
    15日の夜、50名近い青年達を対象に登山学校の講習会が山荘で行われましたがあの真剣な態度と気合は、将来の韓国を代表されるクライマー達を生み出そうというのでしょうか。
    Nさん、Uさん、私の三人の旅でしたが、三様の個性があって楽しかったですね。 Nさん、本当に有難うございました。 岩と岩以外のこといろいろ教えて頂きました。Uさん、重いロープさばきをしてくださり有難うございました。お陰様で登れました。           H 9/18記

    第┃ 56┃回┃ 「アニョマセオ!!インスボン」(2001/10/16) 
    北漢山の仁寿峰の報告その・
    9月13日から16日までの四日間、大韓民国の首都ソウル北方に位置する北漢山(ブッカンサン)国立公園の中の、かっては東洋のヨセミテ(今はヨセミテへさっさと飛んでいってしまう人が増えたのでこんな呼び方も懐かしいとのこと)とよばれたインスボン(仁寿峰)の岩を登ってきた。初めて体験した岩のことナもあり、だいたいが岩のぼりに向いた体型でもなくて、登ったというよりは登らせてもらったのだ。楽しいことはそれは滅茶苦茶に楽しいクライミングであった。登っている最中にはアドレナリンも滅茶苦茶出ていただろうし、そして悲鳴も。あんなにアタマを使いながらクライミングをしたこともなかった。あまりな体験だと感じたところが、またピッチが長いのであった。満足度はそれは十分に☆☆☆なのだが、どう登ったかとかそのあたりのことは私が言うよりは、是非あなたが実際に体験されることをおすすめしたいのだ。ということで、このレポートではインスボンの「入り口まで」をご案内することにいたしましょう。あなたはさっさと飛んでいくべきなのだ。

    北漢山はソウル市の北方に広がる山々の総称であり、仁寿峰(インスボン)810.5m、白雲台(ペグンデ)836.5m、万景台(????デ)799.5mの三峰が、その中心部にあたる位置に順に北から並んでいる。東京の高尾山、神戸の六甲山、大阪の生駒山といった感じだろうか。 資料では、都心(ソウル中心街)からもっともポピュラーな山の東側の登山口、牛耳洞(ウイドン)までタクシー、バスで1時間足らず、ただし交通の込み具合によると、どの案内書をみてもしっかり書いてあるので、いささか注意が必要だ。料金は、タクシーだとだいたい20000ウオン、バスだと500ウオンだ。20000ウオンといっても日本円では約2000円。公共料金は感心するほど安い。私達は例のTERRORISMの影響で、本当なんだとガックリしてしまったのだが、ガラガラの成田空港第一ターミナル(アメリカンとユナイテッドが入っているのだ)から出発して約一時間半のフライトの後、この3月にオープンしたばかりの仁川(インチョン)空港へ到着。そこからタクシーで大ソウル市を横縦断してウイドンへ向かった。ウイドン登山口では「トソンサ、トソンサ」と、そのほかの韓国語はほとんど分からないので、もっと先へ進むように告げる。バスはウイドン登山口が終点で、そこからは名刹のトソンサ(道+ごん偏に先+寺)への参道であり、この寺の送迎バスかタクシーで行くことになる。右手に白雲山(ペグンジャン)と看板をだした、RESTAURANTともあったように思う、湯屋(※お風呂)であるとか(帰りに立ち寄ったが、タオル付きで800ウオンだったかな)登山用品の店とか、弁当屋台とか結構にぎやかであった。寺に並んだ国立公園の登山口ゲートがあるロータリーまでタクシーに入ってもらった。インチョン空港から約2時間、料金は56000ウオン。60000ウオンを渡して、お釣りはほんの心付けだ。カムサムニダ。ゲートで1300ウオンの入山料を支払う。ここにも、食べ物やミネラルウオーターを売る屋台が並んでいた。最初は涸れた沢登り的?(自分が沢も歩くのでこう感じただけかも)な大きめのゴーロをぬったような登山道。石段を作ってあったり、登山道はかなり整備されているのだ。すでに夕方近くなので、下山者が多い。聞くと中高年者登山が盛んだという。シッカリと登山靴にハイソックス、ベストにキャップなんてのも、めだつ。こちらの人達も「こんにちは」とか挨拶するんだろうかなと思っていると、擦れ違うときに「アニマセオ」とか言っているのだ、ほんと。インスサンジャン(仁寿山荘)前を通り過ぎて、宿泊先のペグンサンジャン(白雲山荘)を目指す。ミズナラやクヌギの林の間から、インスボンがまさに巨大な岩としか言いようがない姿を現すと、まもなく山荘である。ゲートから約一時間の登りで山荘に到着した。石造りの基礎の上にログハウス2階建ての、立派な山荘である。 山荘前のベンチに荷物をおいて一休みだ。N師(私の先生)がニコニコしながら山荘に入っていく。「Nさん!」とすこし訛ったアチラ語風の、ちょっとビックリした様子の声が聞こえた。N師が次々と山荘の人達と抱き合ったり、握手をしたり。 まもなく分かったことだが、実はこの山荘は8年前に失火で消失し建て直しされたのだが、その時もN師はこの山で岩登りの最中、ザックやら何やら、全部燃えてしまったのだそうだ。5年ぶりだそうだ。この山荘所属のガイドのソーさんやマネージャーのリーさん(オーナーJR)とは顔見知りだったのだ。さらにオーナーのリーさんは来日したこともあって(パチンコが大好き)、N師は案内役を務めたそうだ。 私達は14日、15日の二日間、N師のリードで、インスボンを概念的に理解できるようにとクラシックなルートが集中する東面を登った。ウジョン(友情)BとショイナードB=クイバウィC(耳岩C)、これは2P残し。そしてインスB(仁寿B)。15日の午後は、頂上を上り詰めると正面に目にするペグンデ(白雲台)山頂から、「ヤッホー」(ほんとなんだから)と叫ぶ韓国青年子女の群に興味が移って?クライミングは中断。山荘から30分ばかりのそちら山頂で、北漢山の峰々と大ソウルの景観を楽しんだ。漢江が霞んで見えた。何のことはない、昼食時に、卑しくマッカリ(※現地の「濁酒」)を何杯か楽しんでしまったためなのだ。あはは、友好友好。ん?
    朝7時頃に朝食(もちろん韓国家庭料理風、なぜかご飯2杯は軽い)をいただいて、午前中に一本。下降して山荘で、温かいソーメンとビールにチジミ(お好み焼き)の昼食。午後にもう一本の調子で登った。あちらでは、岩場は9時とか10時頃になると混んできたかなという感じで、ダアーと広いものだから(こんな言い方もないか)、一人がアタマを見せたなとなるとボコボコとヘルメットアタマが現れだすのだ。私達が小川山とかでやる、朝6時過ぎの岩場の場所争いは、ない。
    さっきも言ったが、ルートがどうだったとか、どこをどう登ったとか、こんな私から聞いてもあまり役に立つことはないだろうから、登った時の感じをほんの少しだけお話しましょう。 フリクションはいい。いい加減な靴だと負けてしまう。ピンは、遠い。クラックはNP。私達は#4を一個いれて、マイクロフレンズから#3まで2セット用意した。一つ一つのピッチはかなり長い。登ったルートはスラブから連続したチムニーやクラックになるルートなのだが、1P30mとか40mとか、ずっとバックアンドフットが続いたりする。それも開始点から数ピッチ登ってからね。集中力の維持と体力、それからヒェーという悲鳴の美しさ?
    終了後の下降は一旦頂上を踏んで西面から、真っ白なペグンデを背にして、ほんとうに高度感いっぱい、開放的なラッペル(※懸垂下降)となるのだが(ラッペルの支点までが怖いと言えば怖い)、ロープは、私達は10.5の50mを二本用意した。それでも降り方ではギリギリの長さかも。2Pの下降。最後のピッチではまっすぐ上方を見上げること。空が晴れていたら言うことはない。まっすぐに天空から下降している気持になれる。
    以下資料から。
    ・ウジョンB 4P105m  1P:20m 2P:20m 3P:35m 4P:30m
               グレード:5.9 クラックルート NP 1/2 to 2
    ・ショイナードB 5P177m 1P:35m 2P:37m 3P:25m 4P:40m
               5P:40m グレード:5.8 クラックルート
    ・インスB  3P97m 1P:37m 2P:30m 3P:30m
       グレード:5.8 チムニー&クラック NP 1/2 to4
    インスB最上部でトラバースをしているときに、耳岩基部で休んでいたウィデギル(医大ルート)を登ってきたアチラ中年クライマー達から、日本語で「ムツカシイデショ」と声がかかった。そちらがムツカシイデショね、大将。こんどはハングルを覚えていこう。友好友好。
    また行こう。次はミョンドン(明洞)でのお食事もしたいね。以前、豚ロースの焼き肉が最高だったからな。トンデモン(東大門)市場の山道具屋群へは平日に行ってみたいね。現地の人がどんな買い方をするのか、見学したいよ。パッパと電卓をたたいて「サーテェファーブ・パセント・ディスカウント」。5.10のフラットソールが7000ウオンだったよ。「マツタケ・マツタケ」と繰り返す日本人(とは分かっていただろう)を一生懸命歩いて、尋ねて、定食屋へ案内してくれたオニイサン。人情とクライミング。
    アニョマセオ。(サヨナラの時にも言うのだそうだ。)(2001/10/10 U 記)

    第┃ 107┃回┃インスボンから帰ってきました(2002/9/24 )<長文>
    二度目の仁寿峰 2002 912〜17
    今年も、仁寿峰ツアー、9月12日から17日まで行われ、二回目の参加となりました。参加者は、リーダーの新保さん、今回はじめて参加のまたクライミング暦一年でが・・・・どこでも登ってしまう頼りになるチョンミア(韓国語での彼女の呼び名) と三人でした。
    一年ぶりの韓国は、滞在中曇っていて、時折風も強く、寒いクライミング日和となりました。けれど、4日間のクライミングは、連日1本、本数が少なかったとはいえ、充実した内容でした。去年参加して登ったルートをはずして、初めてのところばかりだったこともあり、日曜日以外は韓国クライマーも少なかったので難しいルートも後続パーティーに追われることなく、登れたのが良かったです。
    国立公園に入って40分後、仁寿峰の最高ビューポイントの地点から、あの見事な岩山をほとんど見ることが出来なかったのには、今回の天気の悪さを感じて、少なからずショックでした。チョンミアの歓声を聞きたかったのに・・・・・。ほとんど同じ頃の去年は、連日の晴天だったのに。
    初日、夜中に降った雨の乾きをまって午後の登り出しとなりました。韓国クライマー人気?1の「医大ルート(ウディキル)」150m5ピッチ 10d一部A0.・・・なぜ人気かというと、美しく、すくっと立っていてほとんどスラブの世界・・・・だという。去年、韓国クライマーのスクール生が取り付いているのをみて、あんな立っているスラブを登るなんて!!と感動して見ていたルートです。
    やはり怖かった!!  インスボンの10Aのスラブは、しびれました。ここは、日曜日には、わんさか韓国クライマーの青年団が押し寄せ、怒鳴りあっている場所ですが、その日は、誰もいなかったのが幸いでした。とにかく彼らは、上、下で大きな声で喋り捲っているのが特徴です。韓国語の語調からか、私には、まるで怒っているように聞こえてなりません。その賑やかさは、日本人クライマーとは、対照的です。けれど日本人クライマーには大変優しく、友好的だと思う場面が幾つかありました。
    二日目の・・・「クローニーキル」 225m8ピッチ・・・最も長いルートで、ルートを間違えたため、難しい10Aのスラブをやっとの思いでビレイ地点に近づいた時、近くにいた若きクライマーが親指をたてて、何度もやったね!のサインをくれました。私は、(゜゜)を引きつらせて登っていたらしい・・・・・新保さんの話。こういうのってすごく嬉しいですよ。もちろん支点に着いたとき「アンニヲハセヨ」って余裕・・・の?の笑顔で声をかけました。
    三日目・・・・日曜日でクライマーは、どっと増えた上、少々お疲れモードとお天気の心配もあって、短い、「ソーミョンスラブルート」のバリエーションルート「ファンタジーエクスプレス」 75m、3ピッチにしました。ここは下降ルートになっているので昼過ぎるとすだれのようにロープが下ろされしかも容赦なく頭上から落とすんです。日本では、考えられない激しさです。ここでも後続に韓国クライマーがドンドン押し寄せ、トップのリーダーが私の立つ支点に来たとき、ハングル語で声をかけてきて、答えられないのをみて「イルボン?」と確認。もっと言葉は長かったのですが、それだけ聞き取れたので思わず「イエス」などと答えたりして・・・・。でもそのリーダーが下にいる仲間に「このルートを日本人が登っている」といったかどうか、怪しいのですが下から、歓声と拍手が沸き起こって、私は、思わず下に向かって「ハーイ」と笑顔で手を振ったりなどしてしまったのです。考えられないことですが。彼らは、その支点から易しいルートを登り、上部で再び合流、そのリーダーと身振り手振りの交流となり、すごいガスのため周囲が真っ白になった時も、後ろを見ろと声をかけてきたり、私は、「ワオー」などと驚いたり、次のピッチのクラックの登り方を私に教えてくれる等、岩場で短時間ながらあの先生?に親しみすら感じました。 
    交流といえば、今回、宿泊したペグンサンジャンの小屋では毎晩現地クライマーの「徐 徳漢氏」、「金 基泰氏」オーナーのご子息の「李 建氏」も加わってスペシャル焼肉とお酒で宴会が開かれ、ハングル語、日本語、英語の中で親しく交流がもたれたことは、本当に楽しかったでした。
    最終日は、今回の中では一番易しかった「インスB」100m3ピッチ、いくらか仁寿峰のスラブにも馴染んで快適でした。
    馴染んだといえば、今回滞在期間も長かったので、ヨーグルトを薄めた感じの軽いお酒の「マッコリー」とお好み焼きをうすーくした「ちぢみ」は、すっかり大好物になりました。 小屋で休憩する韓国のハイカー達にも愛飲されており小どんぶりで、ごくごく飲むあののど越しは、すっかり私のものになりました。
    帰国の日、韓国空は、晴天になりました。「徐 徳漢氏」と彼の友人クライマーであり、カメラマン(かなり有名な方らしい)と一緒に下りましたがあのビューポイントで、見事に映える仁寿峰をバックに、一流カメラマンによる記念写真をパッチリ撮っていただけたことは、幸いでした。新保さん、チョンミア有難うでした。  H記 

    第┃ 139┃回┃  『冬教室参加者募集中』(2003/10/21)
    ●インスボン感想をいただきました。
    インスボン・クライミングの1日目(10月5日)を終えて、白雲山荘に戻る下山道で、突然、「私のクライミングは今日から始まった」という気持ちになった。
    山登りを始めて一年半、岩での練習は昨年9月から。これまでに日和田山、幕岩のゲレンデ練習を合計10回くらい。あと、小川山、二子山、三つ峠でのマルチピッチ体験。リードはやったことがない。こんな私にとって、「岩」とは、岩稜歩きに備えての練習という位置付けだった。
    それが、インスボン1日目で、パッと目の前が開けたのだ。「岩を登ってピークに到達する山」が、私の中にしっかりとインプットされた。北岳バットレス、一の倉沢・・・。遠くから眺めるだけのこうしたルートを、いつか登れるように、そのために、人工壁もゲレンデもマルチピッチも練習しよう。今、そういう気持ちだ。

    インスボン(韓国で漢字表記すれば仁寿峰)は、スラブと長いクラックと、深くて広いチムニーの連続だ。スラブは小川山よりずっと粗い花こう岩で、ファイブ・テンのアナサジがよく効く。足裏に微妙なざらざらを感じ、フリクションの効きが実感できる。「ここなら大丈夫そう」と思ったところで立ち込めば滑らない(と思う)。ただ、1日目に登った「友情B」の最後の「狸の腹」は、相当登りこまれているためか、あるいは、足の力を使い果たしてしまったせいなのか、ぬるっとした感じでてこずった。粗い花こう岩は、手指の効きも思ったよりも良かった。

    クラックは、深さがあって、手を入れるとどこまでも入ってしまう。手よりもフットジャムの出番の方が多かった気がする。
    チムニーはとにかく、長い。1日目の友情(ウジョン)Bにしても2日目の仁寿(インス)Bにしても、1ピッチまるまるチムニーだけと言ってもいいほどの所もあった。チムニーと思って早々と体を入れて、ズリズリと登ったが、疲れた。ぎりぎりまで普通に登って、最後に体でズリズリというのがいいのかもしれない。

    スラブ、クラック、チムニーのうち、一番てこずったのがクラックだった。あまり経験がないためだが、インスボン対策には、クラックの練習を積んでおくのがいいのだろう。
    インスボンで驚いたのは、韓国の人たちのパワーと歩きのバランスの良さ。インスボンの隣の白雲台という峰は、日帰りのハイキングコースとして親しまれている。ここがけっこうな岩場。頂上へは手すりや階段があるが、いくつかある道は、5・6くらいははありそうな斜面だ。そこを、ハイキングシューズですたすたと登り下りしてく老若男女。怖さ知らずのキムチパワーだ。
    友情Bからインスボンピークを踏み、懸垂下降のスタート地点に徒歩でおりたが、私たちはロープを張って、セルフビレイをとりながら、慎重にトラバース、下降した。韓国の人たちは、懸垂地点までセルフビレイもとらず、平気ですたすたと歩いている。下りが苦手な私は、お尻でずりずり下りたいくらいなのに。
    穏やかな稜線歩き、松葉のじゅうたんの上を進む樹林帯歩きから始まる日本の山と違って、韓国の山は岩山が多く、「山歩きと=岩歩き」のため、みな岩歩きが上手になるのだろう。以前にソラクサンのスキー場の視察に行ったことがあるが、ここも岩山だった。

    インスボンで2日間、クライミング三昧をした結果、どのくらい岩に慣れて上手にの登れるようになったのかは、私にはわからない。でも、少なくとも、岩が楽しく、岩をやりたい、という前向きな気持ちになった。ちょっぴりだが、自信もついた。が、自信が過信とならないように、いさめなければならない。
    というのも、セルフビレイのとり方、懸垂下降のためのロープワークなどでの手際の悪さが目立ち、仲間の手を借りたり、時間がかかったりした。とても恥ずかしかった。登る技術よりも、まずは、ロープの扱いを確実に自分のものにしないと、話しにならない。
    自分に欠けていること、今、身に付けなければならないことが、くっきりと浮かび上がり、課題が明確になった。それだけでも、インスボンに行った値があったと思う。小屋での生活(衣食住)は快適。格安。
    下山後のお風呂で、あかすり・エステも最高。すみずみ洗ってもらって、シャンプーもしてもらって、マッサージも少々。ざっと一時間で2000円。洗顔のあとの顔に甘いヨーグルトを塗ったのには驚いたけれど。
    「韓国クライミング体験とエステの旅」なんていう触れ込みで募集したら、女性がいっぱい参加するかも。
    来年また、参加したい。そのために、毎月、積み立てをすることにします。(H記)

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■18 / 親記事)  ゴールデンウィーク「硫黄尾根」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 23:29:05)
    第┃ 33┃回┃「ゴールデンウィーク」報告3(2001/5/10 )
    ▲2001年4月27日〜5月1日「硫黄尾根」
    今回のGW前半を硫黄尾根に決めたのは、22日。「この冬の北鎌の経験を基に取り組める」と言うアドバイスと、硫黄は私自身の行ってみたいルートの一つだったから。
    4月27日(金) 新宿発23時50分 信濃大町行き急行アルプス
    4月28日(土) 第1日目 高瀬ダム〜小次郎沢のコル
    高瀬ダムでタクシーを降りる。(今年から、4月中のGWにもタクシーが高瀬まで入れるようになったとのこと。)超軽量の靴で歩き出す。7時ごろか。北鎌は、P2基部を目指して七倉からプラブーツでタカタカ歩いた。今回は、手に入った記録から、何とかP4・5の間まではと考えて、会話をしながら歩くには少し早めのテンポで進んだ。運動靴で雪の斜面など出てくると、滑るという先入観から及び腰になる。足の運びが一本のラインになっていると指摘される。アイゼンの爪を引っ掛けやすい原因だ。湯俣で硫黄臭を確認してから、水俣川にかかる吊橋を渡る。北鎌の時に、最初に出てきた渡渉点の上をトラバースする。悪いのでしっかり足を置きながら進む。(北鎌のときは、Tさんが行きかけてやめたルートだ。)しばらく進んで、右手に熊笹の中に、道あり。赤布も見える。ここで、北鎌と離れていく。急登を少し行くと尾根に出る。雪。プラブーツに変える。急登で足を滑らせる。こんな所で!!
    クサッタ雪がなんとも歩きにくい。寒かろうが固くしまったアイゼンのばっちり効く雪のほうがどんなに歩きやすいか。へたくそなルートファインディングでとりあえず進むが、調子が出ない、というより調子が悪い。どうやら、2日間の睡眠不足(かなり)が効いているようだ。まずい。一向にペースは上がらず、緊張感までうせていきそうだ。危ない。懸垂の支点が出てくる。落石に注意しながら降りる。必要のないところでザイルをもらい(あの不調からすれば仕方ないと思う)、ちょっとショックだったりしながら、小次郎沢のコルまで到着。4時半。
    硫黄岳前衛峰群(P1〜6)は越えた。テントの中で、ろうそくを使うのはめったにない。初めて使った、タブキャンドルがなかなか面白い。紙縒りを作って芯にして、炎を2本立てにしてみたり・・・。水分をたくさん取る。いつもの通で必要分の飲み物を用意したが全く足りない。香りがするかな?程度に薄くなった飲み物を口にすることになる。
    4月29日(日)第2日目 小次郎沢のコル〜中山沢のコル?時発。硫黄岳を踏み、硫黄台地で一本取る。ここから、北鎌と平行する。雷鳥ルンゼは懸垂で下る。一本下ったところから、硫黄の特徴、脆い岩稜の始まりだ。赤岳ジャンダルム群に入ってからだったか、岩をホールドにしながらトラバースしていたとき、左手の岩もろとも引き離された。それでも留まろうとする私の身体は、お腹にパンチを食らったような体勢をとってトンと落ちた、お尻の右の骨が雪から出ていた岩の上に。その後、数メートル雪面を滑り、止めてもらった。ピッケルのリストバンドが抜けるが、すぐ下で止まってくれた。クサッタ雪に感謝しなきゃかな。なんだか、まるで初心者みたいな気分に、ちょっぴり情けないものを感じながら、トラバースする。その後、捨て縄を2・3箇所で使いながら懸垂を繰り返す。一ヶ所、荒縄らしきものが残っている支点あり。時代の流れをひしひしと感じた。誰が使った縄なんだろう。(・・・冠松次郎・・・。)岩稜では、岩を確かめながら行く。朝のようなことはしたくない。あのときだって確かめたつもりだったのに。P7を巻いたところで…左足をクサッタ雪に取られかけた。体が半身になった。右足と右手が効いていたから良かったが。ノーザイルだったから怖かった。不用意に動けなくて、手をかしてもらった。左足が利き足で、それを支点にしての右足の蹴りこみはいいが、逆は弱い。かなり意識しておかないと危険だ。ぽつりと落ちてくるものがある。P8を2回懸垂で降りたところが、中山沢のコル。5時半。今日のビバーク地。ザイルを使うことも多く、ガレ場の降りにも時間がかかり、目指した白樺台地には届かなかった。最後の懸垂では、若干支点が弱いのでクライムダウン調にして、確保器は使わない。(今回小さなエイト環を持っていない私は、軽さを取ってATCにした。)カラビナを2枚使って制動を効かせる方法を教えてもらう。霙がツエルトを叩く。冷え込んできた。
    4月30日 第3日目 中山沢のコル〜白樺台地を越えた地点霙は雨に変わって一晩降り続いた。辛うじてFMしか入らないラジオは当てにならず、雲行きをうかがう。かなり小ぶりになったところで、行動開始。11時。テント撤収し終わるころには、あがるが、視界が悪い。雪で「く」の字に書かれたルンゼを登る。赤岳一峰から見えない二峰を目指す。今回のルート第二の核心部。だが、一つの資料によれば、「多少難しいところもあるがザイルを必要とするほどではない。」とある。それにしては、かなりきわどいルートに出くわす。岩稜と岩稜の間を落石たちがうまくうめてできた、細い橋を渡る。空中綱渡りの気分。橋通過後に出てきたのは、アイゼンの爪さえ置くところのないスラブ。岩の上のリッジに手をかけカニになる。しばらく降りるが、ルートに??マークがついてくる。一峰に登り返し、地図とコンパスで確認。どうやら、尾根を違えていたらしい。二峰は、南西の方角だ。少し進むと、アイゼンの爪の傷が岩に見られる。OKだ。懸垂の支点も出てきた。二・三・四・五峰を越え岩稜が終わると、白樺が顔を出す。白樺台地も近いらしい。雪壁をトラバースしていると、下のほうに頭に赤い飾りをつけたきれいな雷鳥がつがいで歩いている。飛び立っていく姿も美しい。平坦な雪原に出た、白樺台地。ややのぼりのきつい雪稜を進むうちにガスがきれ、正月の北鎌が、槍の穂が一層身近になって現れた。?時半。ころあいの良いビバーク地にスコップを立てる。ここから、硫黄岳からの軌跡を追うことができる。ホワイトアウトの中の行動がこの視界の中でつながった。なんだか、やたらと嬉しい。あんな岩稜だったのか、あんなやせた雪稜だったのか!!!いくら見ていても飽きない。硫黄尾根は、終わった。クサッタ雪にプラブーツの中に入り込まれ靴下を濡らされる。装備の一つに「新聞紙」があった。これが、吸水性抜群。使い慣れない私は、どうしても「直火」に頼ってしまいがちだが、Nさんは、さすが。濡れた新聞紙をまるで、海苔でもあぶるように乾かしては、再利用する。
    5月1日 第四日目 白樺台地上部〜上高地・・・新宿
    久々に御来光を見た。淡い太陽。これが春の朝の陽なのか。穏やかだ。??時、西鎌尾根から肩の小屋へ向かう。肩の小屋からの雪壁にきれいな二本のシュプールが描かれている。なんてリズミカルな息の合ったスキーヤー達なんだろう。山スキーの爽快感を思い出す。オコジョ??身体に縦に太い縞を三本くらい走らせた小さい生き物発見。リスを一回り大きく、且つ四角っぽくした感じ。岩稜と雪壁を身体に取り込んでるの?いつか、純白の君にも会いたいものだ。肩の小屋11時着。休憩後、一気に下る。もう、惰力走行だ。傾斜があるうちは良かったが、横尾からの平坦な道は自力で歩かないと進まない。まだまだ、修行が足りません。
    下山して
    今回、名目上「リーダー」として、山行計画・装備表を作成した。地図上に、ルートを落とす作業もしてみた。例によって山行準備は、慌しく進められ不十分だったが、「自分で」考えることがいつもより多かった分だけ、勉強になった。優しい部分は、先を歩かせてもらった。(初日は別)どうかな・・・という部分も、トップで歩くことに挑戦してみたい気もする。たくさんの経験の中でルートを読む力もつくだろうから。山行前に地図をぎっちり頭に入れて、山行には地図を持っていかない人を知っている。持っていかないことを真似できないが、それくらい、地図を読んでおきたいと思った。左右のキック力の違い・・・左の弱さを、承知してけりこまないと。クサッタ雪の難しさが、身にしみた。硫黄>北鎌という式を実感した山行だった。 

    1、装備と活用について{*反省と問題意識の纏め}
    (1)時計の電池切れに新宿で気付く{×失敗}
    (2)ラジオの感度{×が良くなくてあまり使えなかった}
    (3)クサッタ雪でも靴の中・ズボンのすそを濡らさない工夫はないものか。
      {*スパッツは付けるが雨具下を付ける程の必要がない場合結果として裾が濡れてしまうので}
    ・ 濡れた靴下を嫌がらず履き、夜乾いたもので快適に休む。{*一度濡らすと乾かすのが難しい。睡眠時は濡れた靴下だと最悪なので・・・実感しました}
    ・ 冬山でもゾウ足を持たないことが多いが、あればいいなと思った。{*私は冬はゾウ足は替えの靴下と同じく必須です・・・凍傷しているので尚更なのですが}
    (4)新聞紙の活用{*天気が崩れる場合は必須と実感}
    (5)水分を多く摂る
       ・喉の渇きとは別に体内の水分は不足してくる。
    (6)ろうそくはいい。
    ・ 何と言っても、炎の温かみがいい。定着型以外は、ランタン持たずにろうそくとヘッ電で済ます。      
    ・ ぺツルの新型は有効。{*長時間使用可・軽量}
    (7)予想以上に捨て縄使用
    ・ 不足ではなかったが+αあったほうが安心
     {*一人今回は長い物×2・短い物3でしたが・・・私は短い物×5。終わって手元に残ったのは長短3}
    ・ シュリンゲを作るときの長さ調節が不十分{*長い物の長さは短い物×2にするべきでしたが中途半端な長さの物を使用したので}
    (8)確保器
    ・ 本ちゃんでのATCは、「役に立たない」{*と指導を受けました。}
    (9)ティッシュとロールペーパー
    ・ ロールの方はまだしも、ティッシュは長く残り、自然の中には残して置きたくないものとのこと。
    ・ 労山の「高所登山学校」の参加したとき、使用後ライターで燃やす方法をとった。日本の山でもそれが一番かな?{*ティッシュは丈夫で、分解しにくいので環境庁や自然保護団体は山では使用しないよう呼びかけています。ロールペパーは分解しやすいそうです。持ち帰りが一番良いのですが・・・ウーン難
    しいですね。アラスカでは環境レインジャーが燃えた灰が環境を破壊するので燃やすなと指導しています。どうしても破棄せざる得ないのならクレパスに放り込めと指導していました。}
    (10)アプローチの靴
    ・ Nさん、アプローチでのぬかるみまで予測しての選択・・・納得。私のように普通の靴では雪に対して及び腰になる場合、家からプラブーツという冬のパターンがいいのかな。{*崩れた道や無雪期は運動靴の方が歩きやすいしアプローチで運動靴を使用するというのは楽ですね。ただ、軽さを選ぶあまり運動靴の靴底のタイプに無頓着だとまずいです。滑りにくい物を選びましょう。又、滑りやすくなった物は破棄しましょう。プラスチックの靴は蒸れます出来るだけアプローチで湿らさない工夫が必要です、冬の時は私は捨てても良い綿靴下を履いて、登山口の駅で毛の靴下に履き替えて綿を捨てています}
    (11)水筒
     ・最近、ペットボトルの飲み物を直前に購入しそのまま水筒にする。今回たまたま「エビアンの水」弱いボトルで、扱い注意物だった。
    (13)ハーケン
     ・Nさん愛用の優れもの「ICI/クロモリスパイラルハーケン」が活躍してた。
    技術・・・
     (1)クサッタ雪
     (2)脆い岩
     (3)ルートファインディング
       ・トップは、支点を見つけながら行動することも大切。
     (4)ガレ場の歩き方・足の運び
     (5)ザイルワーク
       ・歩くのと登るのに夢中で、その後のザイル操作につながらない。一連の動きになるように身に付けたい。
     (6)テント設営
       ・Nさん、即行動。私はと言えば、雪を踏むのも億劫なくらい・・。一日の行動で疲れていても、テント設営まで行動の内にいつでも入れておかないと。
     (7)精神面
       ・完全にNさんに依存して行動していました。名目上の「リーダー」さえもどこかへ吹っ飛んでいました。私の目標が「山での自立」だと言うのに!!
     (8)ルート研究と読図
     (9)アプローチから下山までの体力
    感動・・・
     (1)残置シュリンゲ
     (2)硫黄尾根の全体像を見たとき{*白樺台地の上部でビバーグ体制に入るときやっとホアイトアウトが切れ後を振り返れば歩いてきた尾根が見えた}
     (3)私にとっての「ビッグルート」の完結
       ・ルートの長さ、岩稜の脆さ、連続した前衛峰群の迫力。
        北鎌とは平行している兄弟のようなルートなのに、その個性たるや全く別のものがあった。硫黄には硫黄の自己主張があった。その主張を私はまだ、受けとめきれない。最後に、この後の山の目標を持ちたい。  K

    ▲私
    入山日素足で運動靴を履いていたら寒さに強いと誤解を受けた・・・ただ靴下を履くと濡れるのが分かっていただけだったのに・・・水俣川にかかる吊橋を渡ってからの道が崩れていて年々悪くなっている・・・今回デジカメを持っていったのだけれども出発前夜バッテリーを換えたのだけれども使用時バッテリィ不足の表示で使えずじまい・・・悲しい。三日目のホアイトアウト状態にはまいった視界10mで迷ってしまい。パトナーに白い目で見られてしまい助けてもらいました。

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■17 / 親記事)  「谷川岳」
□投稿者/ オジサン -(2002/04/17(Wed) 22:57:44)
    第┃7┃回┃「ガチャ」2(2000/11/28)
    ★ツエルトは大きめの物を持っていく。谷川岳「烏帽子奥壁のルート」は冬壁を志す人にとってはさけて通れない課題です。夏は中央稜・南稜→中央カンテ・変形チムニーと言う順番で難しくなりますが、アイゼンワークを体験すれば、アイゼンは真っ直ぐ攀るのに適していますが、横に行くのは難しい事が理解できます。南稜の夏で言うところのチムニーの上の3P目「・+」の逆くの字状に攀る箇所の為、冬は奥壁のルートの中で南稜を一番困難にしています。中央カンテは難しさが均等に続きます、変形チムニーの部分はピンを穿り出して人工で行けます。凹状は夏の核心部までルートファンリングが難しいです。どのルートを登っても快適なビバーグテラスに辿り着けるとは限りません・・・むしろ腰掛けるだけのビバーグの思い出しか残っていません、そんな時ツェルトを逆さまに使ってみてください(無論空気穴は縛ってくださいね)。底が上になるのですが袋状になるので楽です。

    第┃ 9┃回┃「谷川岳一の倉沢「中央稜」」(2000/12/ 4)
    *12月1〜2日に谷川岳一の倉沢「中央稜」に行ってきました。
    この時期は寒くなく登りやすいです。今年は例年以上に雪が少ないため取り付きまでは夏と同じラインでした。例年ですともう少し雪があるので、楽なのですがスラブ主体のテールリッジが悪いです。冬季初パーティの運命でずっとラッセルで「ショングリの滝」も高巻きます。この高巻きに帰りの事があるので(45mの)ザイルを残置して置きます。(昔残置した私のザイルはボロボロになってもまだ有りました。)のっけからザイルを着けて、スラブにアイゼンを軋ませながら、取り付きにやっと昼の12時に着きました。暗くなるのが早いですね4p登って座ったままビバーグとなりました。連れていった二人は「大男」でツェルトに私は入ることが出来ませんでした。幸い夜中にパラパラと降雪がある位で暖かかったのですが・・・同行者のサイズを良く考えなければいけないと一人納得しました。回りの景色は雪の薄明かりでよく見えます、暗く冷たく人間の存在を拒否しているようでした。吸い込まれそうな闇の中でたった三人しかいない・・・夏の騒雑が嘘のようです。新品のツェルトは(ヨーロッパ・アイガー北壁を登るときに使おうと思い買ったのですが)同行者のビバーグ地が悪くぶら下がってしまう状態のため重さで隅っこが破れてしまいました。翌日残りのピッチを登りブッシュ帯手前で終了とし、同ルートを懸垂下降し取り付きに戻りましたが、テールリッジも殆ど懸垂で降りました。「神々のトラバース」に春、残置した私のザイルはまだありました。中央稜基部から一の倉沢出会いまで4時間かかりました。暗い林道を、同行者は歩きながら「寝てしまう」事があったそうですが指導センターに夕方6時頃着いて長い二日が終わりました。
    *ビバーグをいかに楽にするのかは経験が必要ですが、誰でも出来る工夫は「マスク」をして寝ることです。シュラフの中に顔を入れて寝ると息で濡れてしまいます。マスクをすると濡れにくく暖かいです。

    第┃ 15┃回┃「谷川おじさん」(2000/12/19)
    日曜日、天神尾根経由で「谷川岳」に行ってきました。「谷川岳」という山はなく、「トマの耳」「沖の耳」総体を指しますが、途中「谷川おじさん」の二千回登頂達成に遭遇しました。すごいですね・・・記録を伸ばすために住まいも通いやすい所に転居したりしているようで・・・
    土曜日は、みぞれぽい荒れ模様の天気だったのですが、嘘のように晴れて風一つない穏やかな日で、大勢の登頂者で賑わっていました。
    谷川岳はその置かれた位置のためきわめて得意な気象状況になり「悪天候」が屡々有るために気象遭難が起こりやすいです。荒れやすい山の頂上に2千回・・・他の山ならいざ知らず「谷川岳」の2000回登頂は「すごい」です。昔のように悪天候が一週間続くと言うことはめったになくなりましたが(私自身1泊2日の予定で6泊7日閉じこめられたことがあります)・・・肩の小屋の広場は吹雪かれると迷います。ザイルが有れば一人を中心にザイルで円を描いて避難小屋か指導標を見つけます。指導標(鉄塔)に一人が立ちザイルの方向を指示しながら伸ばします。吹雪かれていると斜面と風に逆らうように歩いてしまうため方向が狂ってしまいます。西黒尾根の場合ザイルを二本つないで、さらに2P伸ばして、「懺悔」岩を見つけたら正規のルートです。後は迷う所は有りません。指導標は雷の影響で磁気を帯びていますので注意してください。・・・

    第┃ 24┃回┃「ひな祭」(2001/2 /27 )
    一年で一番攀るチャンスの三月が始まります。自分自身にネジを巻きましょう!!
    ☆春一番が吹いたら(二月下旬以降)移動高から眼をはなさない(滝沢第三スラブ91.3・幽の沢正面右95.3)
    ☆ 谷川岳のルンゼ登攀は雨のあと冷え込んだら最高の状態になります。(3月)

    第┃ 37┃回┃「夏が来る・・・」(2001/5/17)
    もうすぐ夏が来ます。みなさんどのようなプランお持ちでしょうか?夏の前に谷川岳の本チャンルートをトライしましょう!!(易しい所から難しいところまで自分の課題は探せば有ります。ただ、グレードで探して見てはいけません!!人があまり行かないルートはグレードが低くても難しいという事を理解してください。グレードが低いとピンは有りません、総合力がそれだけ必要になります。グレードが高くても人気ルートはピンがありルートも安定しているので総合力は少しですみます)
    秋に「谷川」を目標にしている人は、「春の谷川岳」が一年で一番アプローチが楽くで日が長い(明るい時間が長い)と言うことを心に留めてください。。特に、私の経験から言えば6月第一週は天気で登れなかったと言うことが有りません・・・出来れば休みを取って、秋の分まで登り込みたいですね。ただ、春先はピンや岩が緩んでいることが多いので、人工ルートは気を付けて。そして、落石が多いので他のどのパーティよりも早く取り付けば、落石からは安全です。(又は遅く取り付くかです。)
    6月中旬から7月前半まで天気は不安定ですからその時は天気をよく見てゲレンデか本チャンとしたら北岳バットレス・丸山・唐沢岳「幕岩」にアタックしてはいかがですか・・その為に今ゲレンデを登り込みましょう!!

    第┃ 40┃回┃≪  谷川の課題   ≫  (2001/6/6)
    6月2日(土)一ノ倉 中央カンテに登りました。 お天気は、時々パラつきましたが、いい一日でした。数年振りの谷川で、雪渓を登っているとき、かなり緊張していました。本チャンとなれば、
      ・ 自分が安全にしっかり登ることはもちろんのこと、
      ・ 仲間との連携プレーを上手くやらなくてはいけない、そして
      ・ 落石を起こしてはいけない
    などと思いながらテールリッジを登りました。その間堪えず安全に登れるよう足の置き場所にもNさんの指示を戴きました。岩は、思っていた以上にグズグズで、触ってグラリというのがいくつもあり確認を怠ることができませんでした。 また先行の人からのそういった忠告は本当に有り難く思いました。快適なところもあり、正直コエー!! という個所もあり、Nさん、トップのロープが15分位動かなかった所は、まさにそれでした。私のこの度の課題は、懸垂下降で何回も出てきて、何回も忠告を受けました。
    ・ 下降して着地して直ちに自己ビレイをとる前に、少しロープを緩めようとする   
    ・ 自己ビレイのとり方で、支点のシュリンゲへのかけ方がしっかり確認できていない
    ・ 支点にかけるときは、ロープの下からかける
    ・ 懸垂下降時のエイト環の使い方がスムーズでない(実際エイト環を落としています。)
    ・ 懸垂下降時の安全確認、ハーネスにつけている環つきビナの閉め忘れなど
    ・ 懸垂のロープの結び目は、下側になるように
    どれも完璧に身についていないとわかりました。登れても、下ることの難しさが身にしみました。下降中、頼りない支点個所で、Nさんがその場でボルトをうち、手持ちのシュリンゲで支点を作って下降した時、いろいろな技術をもっていなければならないことの大切さを痛感しました。またそういった時に必要な様々なもの(シュリンゲの長さ、太さも)をも持ち合わせることの大切さも知りました。私などは、ただボーとしているだけで何の役にも立たない状態でした。
    今回、事故があって頭上を県警へりが飛び交い、三人もの人が吊り上げられていったり、南稜を下降中に、真下の雪渓の大雪崩があり、そのすさまじさに震えました。
    全体に、前回来たときには怖さも知らず、快適な印象だけでしたが、今回は、いろいろなところでなぜか怖さを感じた谷川でした。 H記

    第┃ 48┃回┃「夏山シーズン」本番です(2001/7/30)
    梅雨明け10日間は天気が安定すると言うことで「登山」に最適と言われてきました。それでおおむね「夏山合宿」は(例年の梅雨開け日は7月20日頃なので)8月1日頃に行われるのがベストですね。でも社会人だとどうしても会社の「盆休み」に当たる8月15日辺りにならざるえないのですが、この頃は天気も不安定で山も混みます。天気の安定しているときにチャンスを掴んで攀るようにしましょう。

    7月29日谷川岳「中央稜」北稜下降〜衝立前沢〜出合に行って来ました。「ショングリの滝」はまだ出ていなく・・・七月の終わりで雪渓が割れていないなんて、記憶にないです。しばらく割れる気配がありません・・・。割れるとアプローチが大変ですね。テールリッジの「神々のトラバース」に去年張ったザ
    イルは一部切れて3m位ブランクになっていました。北稜は慣れていれば中央稜を降りるよりも快適ですね。先週の谷川岳は雷雨で「鉄砲水」が出て出合のテントが流されたそうです。不安定な天気には呉々も注意。

    前日の日も攀る予定でしたが前夜の雨、夜明けの雨で中止しました。マチガ沢の出合にある「マムシ岩」でスラブ登りとクラックをトレーニングしました。
    何年ぶりなのでしょうか十年?ぶりかもしれませんハング帯をリードしましたがなかなかのっこしできず苦労しました。昔の人は此をドタ靴で登っていたのだからすごいですね。
    そんな昔の人たちが集まり「グループ山想」という団体ができています。(東京都山岳連盟に加盟しています)通称「G山想」でその名の通り母胎は「緑山岳会」です。
    緑山岳会から様々な会が生まれました。稜峰会・G登攀クラブ・・・アルピニズムを実践していた人たちが年に一度、「谷川」に集まろうと様々な人たちに呼びかけ本年は7月29日の日曜日に集中登山を行いました。29日は集中登山の岩場の方の「警備」「事故対策」も頼まれていました。

    マムシ岩で「マムシ」に出合い、(もう少しで落ちそうになりました・・・)丹沢の沢登り「小川谷廊下」では大量の蛙に会いあげくの果ては蛙を口にくわえた状態の蛇に会いました。今年は異常気象ですね・・・

    第┃ 50┃回┃「秋の予定」(2001/ 8/24)
    いわゆる谷川岳は説明はいらないと思います。10月中旬以降は入山を控えましょう。みぞれでやられることがありますので天気には要注意です。

    第┃ 54┃回┃10-11月の予定(2001/9/23)     
    9月22日「富士山」が白くなったそうです・・・ここ2・3日朝晩が寒いですね・・・いよいよ冬が始まります。冬壁を一本落とすというのは大変です(私自身は初めての谷川岳烏帽子奥壁の冬壁は「凹状」です、冬壁を初めてから5年位掛かっていますその後「南陵」「中央カンテ」「変形チムニー」「正面ルンゼダイレクト」「中央稜」と経験しています)・・・冬山には「アイゼンワーク」は欠かせません。一度じっくりやってみませんか。

    第┃ 61┃回┃ 「冬の足音」その3(2001/11/7) 
    11月3日土曜日は谷川岳でも雪が降り、上越は「冬景色」だそうです。

    第┃ 86┃回┃ 「山岳共済保険の更新時期」(2002/2/25) 
    ●谷川岳登山条例に基づく届出について
    谷川岳の「危険区域」の登山届出は遭難防止条例で「登山規制」がしかれています。
    > 以前、どこかで谷川岳登山条例に基づく届出がFAXで指導センターまでに2日前迄にすればOKというような記載を見たのですが、本当でしょうか?
    登山条例の対象は(12月から2月までを除いて)「3月」からになります。届出を(原則10日前まで提出し)2通提出すると受理印を押して、一通が戻って来るという事で携帯を義務づけられます(提示を求められると提示する義務があるとなっています)・・・。
    3月の条例適用日開始など微妙なことがある場合や、やむをえず(10日前まで提出に)間に合わない等の場合、登山者の利便を図って「FAX」を受けてくれるようです。(あくまでも運用です)ただし、「2日前迄」という事でなく出来るだけ早めにと言うことです。折り返し、提出者への「受理」の「FAX」が来ます。センターの電話0278723688がそのまま「FAX」ナンバーになります。

    > 岳連加盟者のみの特権制度(?)に関連するものなのでしょうか??
    遭難防止条例制定時、当時の日本山岳協会と群馬県の担当者で話し合いをして、日山協加盟団体については入山当日(会の承認の会印を押した登山届出書)を出せば受け付けると言う事にしました。上記(岳蓮加盟者以外の届出のFAX受理)のことは天気など不確定な要素があり、「十日」前までに提出できないこともあり得るという好意的な事での受理なので、出来るだけ早めに出す事に努めたいですね。

    > 直前の日程変更(悪天などで順延)の場合の手続きはどのようにされていますか?
    不条理な規制条例ですが、担当の方々も規制が目的でないという対応ですし、目的は事故の防止です。「登山届出」に関わる事については、センターに、電話で相談してみるのが良いと思います。

    ●谷川岳登山条例に基づく届出について「グループ山想」からメールいただきました。
    FAXで2日前云々は一昨年の「グループ山想」谷川集中前に、集中の際は不確定要素が多く、センターと話し合って最悪の場合はFAXで2日前なら大丈夫、と言う確約を貰いました。 「グループ山想」集中参加者にはその旨のニュースを流しましたが、それが他に流れたのでしょうか?(私:流れて、現在一般的にそういう処理がされるようになったという事のようです)

    第┃ 89┃回┃「3月」冬も終わり(2002/3/17) 
    17日谷川に行きましたが本谷を詰めるも、「本谷」が割れていて渡れず帰ってきました。雪は落ち着いていましたが、そろそろ底雪崩のシーズンですね・・・

    第┃ 91┃回┃「登山教室2」(2002/3/22) 
    3月17日に谷川に行き「敗退」しました。2月に広い範囲で「雨」が降り、千波の滝が登れなくなったという事態の中で、谷川の氷が発達する予感がしました。(ルンゼも落ち着くし)・・・そうした中、烏帽子奥壁の「大氷柱」が登られ・・・「自分が登っていないルート」へのクライミングの意欲が押さえようもなくなり、Oさんに同行をお願いして、アルパインの経験のあるKを誘って一の倉沢「六ルンゼ」を計画しました。出発前日まで、Oさんから連絡がなく(越沢バットレスに行ってた様です)、連日の深夜にまで至る「残業」でよれていましたが何とか二人で指導センターにたどり着き、明け方3時にセンターを出る時に夜中(午前0時頃)から行動をし、「5ルンゼ」を敗退し戻ってきた知人に色々情報を貰いました、出合は一の倉尾根からの底雪崩でデブリの山のようになっていました。明るくなる頃に滝沢下部辺りまで登り、目指すルートを確認することが出来ました。手こずるなと言う第一印象で・・・本谷が割れていてスノブリッジの一番狭いところが2m位で両側に亀裂が入っていました。
    頭の中で、ルートを登る装備・ルート敗退時の下降ライン、ルートの変更時の予想事態、天気は下り坂・・・気温が高すぎる事、翌日の仕事。リスクを背負う気力が無くなり、敗退する事としました。一の倉からの戻り道、パトナーとの信頼関係を凄く考えてしまいました。
    登山教室でパトナーを育てるという事をメインに私は関わりたいと思います。
    教室の方も間をあけず、短い期間に集中的に登り込むことで自分が何年もかかった事を効率よく学んで貰えると思います。

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